はい、こんばんは!今日も朝から一日中”爆風(笑泣)”が吹き荒れた東京練馬ではありましたが、昨日曜日の午前中までは、いかにも春めいて穏やかな天候でした。と云うワケで昨日の”たこちゃんズ”は朝から「お彼岸」のまねごとをやりに行きました。

ワタシの実母に会いに行くのは西武池袋線練馬駅近くの浄苑。正月明け以来となりましたが、周囲を清掃して花をたむけてまいりました。
練馬駅の北口も、都営地下鉄大江戸線の開通に伴う近年の再開発によってスッカリ景観が変わってしまいました。今じゃ、立派なバスターミナルさえ備えた近代的様式の駅舎になっております。ムカシのこのあたりでは”しもた屋”が立ち並ぶ様な下町風景観に、ワタシなどは”味”を感じていたモノでしたが・・・。

まー、そりゃーそうだよねー(時代も変わった)、と思ったのが、いきなりのコレ。
あっ、この画像は”西武池袋線の練馬駅ホーム”で撮影したモノですが、普通に「東急東横線」の電車が入線してまいりました。我々「練馬人」がアコガレてもアコガレても遠かった「東京城南地区文明(笑)」がここに根こそぎやってきたと云う感慨を持ちました。そう云えば、一昨日の土曜日に副都心線が横浜の”みなとみらい駅”まで全通し、東急東横線の相互乗り入れもはじまっていたのでした。N○K朝のニュースで華々しく取り上げられておりましたっけ。

さっそく「”所沢方面”行きの東横線(なーんじゃ、ソレ:笑)」に乗り込みます。今後はあたりまえのコトになってしまうのでしょうが、横浜は金沢文庫製「東急丸出し」の車内に座り、「練馬丸出し」の車窓外風景を見るのはなんともオツと云いましょうかシュールな空間に感じられます。西武池袋線の石神井公園まであたりの高架部分は施設されてからの年数が経過していない上、土台がコンクリート造りのためか、非常に保線状態が良く、そこに東急車輛自慢の台車がうまくマッチングしているとみえて、従来の西武線では味わうことの出来なかったスムーズ且つ極めて静かな走行感覚を実現しておりますです、ハイ。
ちなみに、横浜のヒトも自由が丘周辺のヒトも渋谷周辺のヒトも、東急東横線から東京メトロ・東武東上線まで直接乗り入れとなった副都心線に乗車し、成増で降りれば、マイクロ・デポまではバスでたったの10分です。東武東上線成増駅の南口ロータリーからは5~10分おきに石神井公園駅行(”石02”or”石03”系統)の便利な路線バスが出ております。ソレにのって「土支田交番前」停留所で降りれば、デポまで徒歩1分と掛かりません。「マイクロ・デポって練馬のハズレで遠いよな」と当店への御来店を躊躇されていた方々も、どうぞこれからはこの路線を御利用になってみてください。特急、急行などを組合わせれば想像を絶するハヤさで到着いたします。

ハナシは元に戻って、「ひばりがおか駅」にて東横線車輌を降り、急行に乗り換え。ここからは従前の”所沢製、黄色い電車”です。
ああ、車内の吊り広告もなにもかもすべてが、当たり前だけど「フツーに西武線」です(笑泣)。所沢の駅に降り立ちますと何やら「100周年」と書いてありました。ここからは、西武新宿線に乗り換えです。そちらのホームへと急ぎましょう。

・・・と、新宿線のホームに降り立つと、いきなり入線してきたのは「おおっ?なんでコレが!」と云った感じの”懐かしい塗色”でやってきた「レッドアロー号」。
もしや「100周年記念」のシャレで、ムカシの車輌を走らせているのかと一瞬思いましたが、先頭車両の顔を見ますと似てるケド違いました。よくよく見ると新しい車輌に”旧い顔”が描いてある(笑)。「レッドアロー・クラシック」と云うのですか、なるほど。

今度は航空公園駅からバス10分のこちらに。ワタシの義父に会いにまいりました。
今日の午前中、空は快晴、風もそよそよと、絶好の日和です。御影石にこびりついたコケ類も簡単に掃除完了!
そのような中、クルマで来訪していた人々は「大混雑」に巻き込まれて右にも左にも動けなくなっておりました。まあ、さすがに今日の園内はどこもかしこもヒトの波と云ったところです。

行きも帰りも航空公園駅までの無料シャトルバスが運行されていたのでソレを利用いたしました。
・・・さてと、とりあえずの予定は済んだコトだし、コレからどーしよーかな?んっ?フト街路灯を見れば「”零戦の写真”垂れ幕」が。あー、コレ見に行かなけりゃイカンかった(忘れてた:笑)。期日を見れば今月いっぱいとある。ホンジャまー、今日行っとくのがどう考えても合理的だよな。

で、やってまいりましたのが、このブログには頻繁に登場するのでスッカリお馴染み、こちら航空公園内に建つ「所沢航空発祥記念館」であります。
やっぱ、零戦観覧料金は別なのね(かと云って、零戦ダケ料金と云う設定は無い:泣)。定価1000円のところ、JAFカード割引で900円。二人で1800円はちょっとイタいけど、さっきの無料シャトルバスで幾らか浮いたので、まっいいか、というコトにする。

場内に入りますと、「うぉー、”火星”エンジン!」ついこの間の正月休みに完成させたプラモ「一式陸上攻撃機」の搭載エンジンなので、コレはウレシイ展示です。
厚木の飛行場跡から発掘されたモノらしいですが、ずいぶん見事に原型を留めてますね。目を凝らして各部を観察いたします。航空機用エンジンはムカシから凝った造りだよなぁー、ホントに(とにかく”電子制御”って理念がほとんど無いので、どのようなコト(制御)も”メカ”だけでなんとかしようとしてるのが素晴らしい)。

日本航空技術界の祖のお一人とも云える木村秀政博士の肖像と、達筆で美しくまとめられた直筆の資料。
そのムカシのテレビ番組「びっくり日本新記録」で時々やってた(今でも特番でやってるらしい)”鳥人間コンテスト”の「解説のおぢーさん」と云う、ワタシがコドモの頃の認識はまったくもって失礼極まる矮小なモノであったコトをあらためて再確認いたしました。もっとも、当番組での解説時、出場者が「飛行前に”色々とポーズをつけて”パフォーマンスをしている」現場を見た瞬間に「これは、きっとトビませんねぇー」と先生に云われてた人々は間違いなく本番で墜落(と云うよりも、ほぼ飛行台の直下に”滑落(笑)”)しておりましたので、サスガに専門家の見る目は違うと子供心にも思ったモノです。

今日のここでの”お目当て”は、とにかく「零戦」です。
何しろこの「零戦52型丙(れいせんごじゅうにがたへい)」、現在のところ世界でただ一機現存するオリジナル”栄エンジン”搭載の”実飛行可能”動態保存機なのです。
本来は米国カリフォルニア州にある「プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館」が所有するこの貴重極まる機体を、当地所沢にわざわざ持って来てくださったと云うありがたーい逸品であります。


で、さっそく「ディテール」にばかりこだわった写真撮影を開始(笑)。
吸気口や脚支柱カバー、各部の銘板やステンシルなどしげしげと眺めては堪能いたします。「おわー!脚支柱銘板に”製造所 株式會社萱場製作所”って書いてある!!(もちろん現在の”KYB”カヤバであるコトは云うまでもありません。根っからの”ダンパー屋”なんですね)」(さっきアパートに帰ってきて写真拡大してようやく読めた:笑)
マーキング類はちょっと”カッティングシート臭”がするので、若干”当時物のリアリティ”に欠けますが、アメリカンレストアですからこのあたりはいたし方ありません。
上面色の濃緑色と下面の明灰白色。その境界線のビミョーな”ボカシ具合”のニュアンスはプラモデルで日本海軍の大戦機を再現する時にいつもアタマを悩ませる部分ですが、そんなの分かってくれそーなのは「ひこうき班長(とりあえず、生きてますかぁー:笑)」さんと「Hでございます(”マセラティ222”ワンオフキットの完成をみんなで待っておりますヨ!→プレッシャーを掛ける:笑)」さんしか居ないと思われます(泣)。

あー、キャノピーを貫通して上に伸びるアンテナ支柱も実際に見るとホントに繊細なモノなんですね。また、キャノピーの形状自体も結構複雑なR面を組合わせて造形されているのだなと思いました。このあたりは1/48クラスまでの小さなスケールでは再現が難しそうですね。
垂直尾翼側のアンテナ線取り付け方法は、なんかオリジナルっぽくない気がいたしましたが、米国の厳しい耐空証明を取得するためにホントに何らかのアンテナ線として生かしているのでしょうから、今様のモノになっていてもここはいたし方無いところでしょう。

キャノピー前部のエンジンカウリングとエキゾースト管配置。実際に現物を間近で見ますと、薄いアルミ板を一枚一枚貼り付けて造形してありますので、どこを見ても”ベコベコ”と歪んでおり、いかにも儚げなムードを醸し出しております。
これに増槽付けて、3000Kmも飛んでった上で現地で空戦やってた方もいらっしゃるのです。上層部が机上の空論で立案する常軌を逸した作戦を実際に遂行実現する驚嘆すべき体力・精神力であったと、そのパイロット方には尊敬と鎮魂の想いを新たに抱きます。

尾灯部分も難しい造形を当時の技術でよく造り上げたモノだと驚嘆いたします。
1/48スケールとか、1/72スケールのプラモだと小さすぎて機構部分がよくわからない尾輪部分。実機を見てもホントに小さくって、こんなんで大丈夫なのかと心配になりますが、前後の重心配置や艦上戦闘機としての着艦性能などをよくよく検討した上での設計ではあるのでしょうね。タイヤ部分は”ムク”で周囲のゴム部分がホイールに焼き付けてあり、中空にはなっていない様です。

こちらは実機とは別にショーケース内展示となっていた、「零戦のコックピット計器盤」です。
当時の科学技術の粋を結集した機体のコックピットではありますが、”敵性語”を一切廃してあるところに、このディスプレイが持つ”歴史の証人”としての重みを感じずにはおれません。それでもアラビア数字は全面的に使われているのですね。「三百五拾」とかいちいち瞬間的には読み取れないもんな、実際。

そしてこちらもショーケース内展示。機体の随所に貼られた取り扱いに関する銘板の数々。
計器類とはうって変わって、こちらはなんだか”国粋主義”が充満している感じです。拡大して隅々まで御覧になってください。「爆弾投下レバー」の指示書きなどからは、本当に航空兵器としての生々しさを感じてしまい、思わず戦慄が走ります。同時にコンピューター制御などまったく存在しなかった時代における、そのアナログ技術の極致を見る思いがいたします。



相変わらず、ワタシは機体のあちこちを矯めつ眇めつ検分(笑)します。小さな部品や艤装のひとつひとつを見ては「おー、こういうコトになってるのか」と感動しつつ写真を撮りまくっております。そのうち途中で”たこちゃんヨメ”はアキれてどっかに行っちゃいました(笑泣)。
ブース内壁にはたくさんの”青焼き図面”が掲示してあり、コレも結構大量にあったのですが、こんなのをいちいち見ているとホントに日が暮れてしまいそうです(ですから、ここでも写真一枚に留めております)。いかにもどこかのおじーさんが作ったと思しきディオラマが展示してありましたが、コレがほのぼのとしたイイ感じの作例で、とても心和みました。ワタシも今度こういうのを作ってみたいなぁー。



そして、最後になってようやくワレに帰り、その全体像を撮影しようと思い立ったのですが・・・「あーん、電池の”ざんりょー”がぁー」。
いや、今日のこの会場内はホントに混んでいて、ヒトが映りこまない様に撮影するのがなかなかに困難。よって後からじっくり撮ってやれと思っていたのですけどね。
二階のギャラリーから見下ろしているヒトビトは”タダ見”の客ですから、「いつまでもソコに立ってないで、とっととアッチへ行けぇー(笑泣)」
なにやら”バズーカ砲”の様な広角レンズ一眼を首から提げた「ジジイさん達」も場内には大勢いらっしゃり、そのヒトたちとの撮影場所のセメぎ合いと云うのもありました。コレでも結構頑張ったんですケドね。



そうこうしているうちに無情にも点滅が”ハイピッチ”に変わった我がデジカメの電池残量アラーム。
残る電源のチカラを振り絞って撮影した、”撃墜王”坂井三郎さんの直筆サインと、零戦の設計主任、堀越二郎技師の研究論文。
青焼きの機体三面図が本物感を醸し出しております。
・・・ドップリ零戦の世界を堪能する中で、デジカメの電池はついに”イキ”まして(笑)、その後の行動は一切撮影出来ませんでした。んが!零戦の動画はチラっとダケ撮れたので、アップしておきましょうね(Youtubeマイクロ・デポのマセラティチャンネル:音出ます、御注意を!)。
もっとも、このあとの行動は、そのまま新宿線で”本川越駅”まで行って、「十一屋肉店のメンチカツとハムカツ(80円、うまい!)を頬張りながら、ビールをガブ飲み(強風吹き荒れる中、ベンチに座って:笑)」した後、川越熊野神社へ行き「イタいイタい敷石での足裏ツボ押しマッサージ(リンク先の方、有難うございます!)」と云う難行をニコニコとコナして健康にも気をくばり(ホントか?:笑)、”東武東上線の川越市駅”までハラごなしに歩いて(ソレにしても川越は、JR・西武・東武と全部まちまちなところに駅があるのでなんとかならんか・・・あっ、東上線でひとつ先の川越駅はJRと同じ処なんだっけ?ややこしいなぁー。)、一気に東上線の急行で成増→バスで土支田一丁目と帰ってまいりました。”たこちゃんズ”、例年まったく同じ行動パターン(一昨年のこの時は”お盆(笑)”)であるコトがわかってしまいます。必ず法事とそのついでの娯楽がセットになってると云う、ワタシたち”下々の者(笑泣)”らしい充実の日曜日でした。ソレにしても西武・東武・東京メトロ・東急・みなとみらい線が全部合体メカ(笑)となって、ますますイジョーに便利になった「全通副都心線」。慣れないとちょっと使い方が分かりにくいですが、色々とお調べの上で皆さんも御利用くださいね。まずは、その一例と云うコトで、おソマツ!
それじゃー、また明日!
2013年3月4日以前の過去記事は、「マセラティでイッてみよう!:Part2」で。
このブログを読んで、マセラティを初めとするイタリア旧車の世界に足を踏み入れたくなってしまったアナタ(あんまりいない様な気がするケド:笑)は、マイクロ・デポ株式会社の公式ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」の方ものぞいて見てくださいね。さらにディープなネタ、やってます。