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2013年3月11日 (月)

東日本大震災から二年を経ました。

 今日は、忘れもしない3月11日です。二年前のそこから数ヶ月間というものは、ちょっと通常とは異なる空気感の中で過ごした日々であったのを、今もまざまざと思い出します。

 東京でも大きな揺れを感じた直後、そもそも当日の夕方にお越しになる予定であった、「(このブログの常連コメンテーターでお馴染みの)Wさま」さんから御電話があり、都営大江戸線地下鉄の豊島園駅ホームで地震に遭遇したけれども御自身は無事であるとの由。早速駅までお出迎えに参上し、旭町のマイクロ・デポまでお越し頂きました。そのまま予定通りに商談を進めさせて頂き、夜の帰宅は困難だと即時判断、近くのホテルに御連れしてそのまま一泊して、翌日の朝には勤務先に向かわれました。もっとも、会社からは即時帰宅命令があったそうですけれど。その充分に情報を精査した上での前向きな行動を拝見して頭が下がる思いでありました。

 そこから数日、日々インターネットラジオをつけっぱなしにして、各地の状況を把握しつつも、自分たちの使用する飲料水や燃料の確保などに奔走するのが精一杯。結果的には無事でありましたが、千葉の館山で海岸縁に住む実父の安否も数日間わかりませんでした。大津波警報の出ているエリアだったので、真っ赤にマーキングされた地図をテレビ画面の中に見せられるたびにハラハラしたものです。一方このブログでは、「(常連コメンテーターでお馴染み:仙台市在住在勤の)Ryo」さんの安否確認連絡を呼び掛け続け、約一週間後に御無事であった事がなぜか関西方面の情報ソースに於いて判明した時の安堵の気持ちも忘れ得ぬものです。

 そのような中で、あろうことか原発災害も起こってしまいました。テレビで建物上部が吹き飛ばされたのを見た時には全身に戦慄が走りました。

 そのような日々から二年が経過して、いまだ31万人もの方々が避難生活をしているそうです。二万人以上の方々の犠牲を思えば、命を繋げただけマシではないかと云う、突き放した物言いも散見いたしますが、長年に亘って培ってきた技術を生かせる職や家や田畑・漁場、そして家族を失い、今後ふるさとも喪失するとなれば、その心中は察するに余りがあります。

 実際、私の周辺にも罹災地域出身(福島浜通り)の先輩が居られ、つい先日も「この間、また葬式行ってきたよ。もともと農家のでっかいお屋敷に住んでいたような親戚たちがすきま風の吹き抜けるような寒くて貧相な仮設住宅に二年も居るんだもん、見てたら涙が出たよ。あれじゃあ頭も体もおかしくなっちゃうよ。」と仰っておりました。こういった方々も大震災での間接的な犠牲者であると思われますが、その数字にカウントされることは無いのでありましょう。

 私自身、この二年の間に大震災や原発事故について意識せずに過ごせた事はただの一日もありませんが、東京におりますと、日々の生活に忙殺される中で、いっけん、すべてが元通りの平静を取り戻したかの様にも見えてしまう瞬間があります。しかしながら、今後も我々の目には見えてこない様々な事象についての情報を深く広く精査しつつ、一歩ずつ前進して行くしか無いのだろうと思っております。

 必ずしも「コツコツと努力した者が勝つ」という世の中で無いと云うのは、今さら私如きが申し上げる事でもありませんが、それでも願わくばそういう人間としての真っ当さを追求して生きてみたいとあらためて思うのです。うまく立ち回れる人生も良し、不器用な人生も、これまた良し、と云ったところでしょう。ヒトも羨む財産家は世の中に多いですが、傍から見るほどにはその境遇に満足していないものです。自ら深く納得出来る一日を積み重ねて行こうと、大震災から二年を経た今日、あらためて思いました。

 今日は、久しぶりにちょっとカタいハナシになってしまいました。申し訳ありません。

 それじゃー、また明日!

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コメント

2年前のあの時、私は会社におりました。震度5強の揺れの中、ビルの6階は大きく揺れ、机の上の資料が散乱してしまいました。仕事で使用している4台のPCが机から落ちないよう、抑えるので精一杯でした。

あれから2年が経過しましたが、被災地は復興どころか除染すら進まない状況に、憤りを感じるとともに自分の無力さを感じます。

あの時を忘れないよう、私は以下のURLを保存し、時々見るようにしています。

http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20110311144600.html?xlarge_image=1

あれから2年、あっという間でした。
かつて体験した事の無い大災害を目の当たりにし、仕事の再開と同時に苦情の嵐を受け大混乱に陥りました。
何が起きようが時間だけが容赦なく過ぎて行く事をつくづく思い知らされました。
時間は、待ってはくれないのです。
当たり前の事ですが、普段はその当たり前に気がつきません。
震災後、ビトルボを整備に出しました。
心のゆとりを取り戻すため。
つかの間の余暇を味わうため。
時間の経過を楽しむため。

二年前の震災当日より、およそ一か月に亘るマイクロ・デポのブログを時折見返す事があります。
顧客その他への配慮や計画停電の詳細な情報提供、原発事故問題への言及等、目を見張るものがあり、当時の緊張感を思い出すとともに感心させられます。
http://microdepot.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/index.html


二年前の3月11日、今でも鮮明に覚えています。
特に、3兄弟様が力合わせて豊島園駅へのお迎えをしていただき
ホテル探しに付き合っていただいたこと、またチェックイン後にたこちゃんご夫妻が
ロビーまで足を運んでいただいたことは、一生忘れることはないでしょう。
この震災を機会に、感謝の意味を込めて(よほどのことがない限り)コメントを
続けさせていただいていることもまた事実です。

たこちゃんの「前向きな行動を拝見して頭が下がる思い」とのありがたいコメントを
頂戴しましたが、過去に阪神淡路大震災を大阪で経験し、当時の神戸の惨状を
目の当たりにしていることが現在の「直感・即決力」に結びついていると自分では
思っています。

被災地ではまだまだ精神的、体力的に苦労を強いられている方が大勢います。
心が折れそうな方もいらっしゃるかと思いますが、ここぞとばかり
「闘え、何を?人生を!」の精神で踏ん張って欲しいと思います。
諦めなければ、きっといいことがあるはずです。

自分の居る場所で、自分に何ができるのか、自分の見たもの体験したことを忘れずに、ずっと考え続けて行くしかないのだと思っています。

今ならまだ間に合う、今ならまだ間に合う、と思いながら。

震災当日、営業車で携帯電話を充電しつつ帰宅。
全貌を把握出来ない未曾有の大災害に焦っていたせいか、携帯電話をポケットに入れたままクルマを降りてしまい、ブチッという音とともに充電器のコードが千切れてしまいました。
やってもうた~、この非常時に!
こんな時、思わず関西弁で呟いてしまうのはナゼ?
実家に何度も電話しましたが繋がらず。停電がいつ回復するかも解らず携帯の電源を切りました。
当時、連絡手段は携帯電話しか無かったのですが、携帯電話はいざという時、頼りにならならないものですね。
自宅の電気が回復したのは日曜日の夜中。街燈の灯りで目が覚めました。
翌、月曜日の朝、初めてTVで報道映像を見て愕然。
知り合いの何人かからは安否を気遣うメールをいただいたので手短に無事である事を返信しました。
津波浸水マップを見たのは4月に入ってからです。会社が浸水域に隣接しているので、これでは心配される訳です。
大勢の御方に御心配・お気遣いをいただきました。連絡が取れずに申し訳有りませんでした。
二年越しにお詫び申し上げます。

祈念、鎮魂、復興

あの日、3月11日になんかものすごい事が起きているということは分かった。
誰だってその事を覚えているだろうし、おそらくすべての日本人、外国人も「二度とこんな悲劇を起こしてはならない」と声高に叫んでいたことも知っているし忘れていない。
でも、同時に私が何を考えていたか、も覚えている。
半年か一年たてば今の事、先の事の方が大事になっていくんだろうな、と。
自分の中でも風化していくに違いないと考えていた。
まさに今はニュースで観る時だけ思いだしている。
自分に起きた悲劇ではない、ましてや今いる場所では福島もニュージーランドも同じような距離感だ。
3月11日には少しも揺れなかったし、あの日の出来事は完全にテレビの向こう側の事だった。
ここでは今年の3月11日に震災の事を話題にした人はいなかった。
無論、みんな覚えてはいるだろう。
でも、風化している。
そして自分は他の人と変わらず、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう普通の人と知っている。
自分の事を誰よりもよく知っている私は、一体どうしたらいいんだろう?と途方に暮れる。
忘れないために? 悲しみを実感するために? 出来そうにないのだ。
歯を食いしばって水を運んでいる少年の写真を机に貼っている。
ぐるりと見渡して、震災の事を示すものはそれひとつだけ。
それにしたって私にしてみれば異例の事なのだ。
正直に言おう。
復興の事よりも、私にとって今月の資金繰りの方が大事だ。
こんな私が震災の事について何か言うことさえ許されない事なのだろう。

もう言いません。

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