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2013年8月30日 (金)

たこたこ西日本ツアー2013夏(その7:軍艦島上陸行)

 はい、こんばんは!今日は朝からなんかヘン、とにかく何かがいつもと違う。呼吸した時の感じもヘンだし、カラダは鉛の様に重い。この”超重力”感覚は一体なんなんだと思っていたら、東京練馬は35.7℃を記録したとのコト。「ちょっと”平熱”低いんぢゃない?」ってハナシではありませんヨ。最高気温がほとんど体温であったと云うハナシですが、三重や静岡ではもっとスゴかったらしいですね。そんな炎天下での作業を一日中続けると、サスガに通常時の数倍は疲労感があります。トシあるね関係者の皆さんも御自愛くださいますよう、くれぐれも御願い申しあげます。

20130830012013083002 ハッキリ云って、当ブログの日めくりカレンダーは8月13日(火)からちっとも先に進んでおりません(泣笑)が、本日もボチボチとまいります。

 ”ドルフィン桟橋”と呼ばれる桟橋に船は係留され、ついに”上陸”いたしましたよ軍艦島(正式名:端島)に。

 昨日「練馬のH」さんからもコメントがありましたように、数年前に「廃墟ブーム」と申しましょうか、全国の廃墟を廻って撮影したような写真集が多く出版された時期がありました。そのような本には必ずと云ってよいほどこの軍艦島が掲載されており、まさに「King of ”Haikyo”」と云う感じで見開き2ページのデカイ写真がドーン!・・・で、ワタシなんかはソレを見るたびに「いーなー、いーなー」とアコガレがツノるばかりであったのです。

20130830032013083004 ・・・で、まあ実際に「観光地化」してからの初上陸となったワケですが、やっぱり思ったとおり、ある種の”生々しさ”というか、「おぐ」さんの仰るような”情念”と申しましょうか、そういった感覚はずいぶんと薄められた感がありました。まあ、コレには上陸当日の天候も関係しているような気がいたします。何といっても真夏のドピーカン日でしたから、なんかこう、底抜けにカラッとした風景に見えるのです。梅雨の時期にそぼ降る雨の中で訪れたら、間違いなく違った感想になったと思いますんで。

20130830052013083006 軍艦島こと端島は、皆さんすでに御存知かと思いますが、そのムカシ炭鉱の採掘をする目的で半分人工的に開かれた島です。

 赤レンガの遺構は「総合事務所」であった建物なんですが、ここには大きな共同浴場と複数の浴槽があったそうで、作業を終えた方々は、右側に位置している「第二竪坑坑口桟橋」の階段を降りてくると、そのまま服を脱がずにまずはジャボンと最初の浴槽に入っていたそうです。そうして順次服を脱ぎながら、ちょっとずつカラダをキレイに洗っていったそうです。このハナシを聞いたダケでも炭鉱採掘の現場が想像を絶する厳しさであった事は容易に想像出来ます。この桟橋に装備されていた高速エレベーターは600メートルの地中までわずかな時間で到達出来るきわめて高性能なものであったそうで、現在東京スカイツリーに装備されているものと速度性能的には同等なのだそうです。当時としては、ものスゴイ技術ですね。

2013083007_22013083008 丘の上に立つ灯台の隣には、島民の命を繋いだ貯水槽が聳え立っています。

 長年の風雨に晒されて、ここの建造物はいつ崩壊しても不思議ではない状態であるとガイドの方は仰っておりました。「今日の軍艦島は、あくまで今日の軍艦島であり、次回来たときには同じ風景じゃなくなってる可能性があります。今日の軍艦島を皆さんの目に焼き付けて、出来るだけたくさんの写真を撮っておいてください」

2013083009201308301020130830112013083012 確かにこうして見学通路として許された道すがらも、よくよく見れば結構荒廃しています。

 出来ることならばひとつひとつの建物内に入って写真撮影をしたいところではありますが、あまりにも危険なために、残念ながら、現在ソレは許されておりません。

 何とか、内部の雰囲気をデジカメでオサえてやろうとズームを20倍にして撮影してもこのあたりの画像でいっぱいいっぱいです。

 建築物もクルマもヒトが丹精することにより、はじめて長持ちさせ得るのだなーとあらためて実感いたしました。1974年に無人化したとの話でしたので、かれこれ39年間の放置プレイ(笑)ですからね。まるで市街戦のあと、その廃墟を彷徨っている様です。

20130830132013083014 ここは1916年(大正5年)に建てられたと云う、「30号棟(アパート)」と呼ばれる施設だったところ。

 本邦最古の7階建て鉄筋コンクリート造り高層アパートと云われているそうです。鉱員社宅として建設され、内庭には吹き抜けの廊下と階段、地下には売店もあったそうです。上左画像で30号棟の左に見える白っぽい建物が「31号棟」。やはり鉱員社宅で地階には一般の公衆浴場、一階には郵便局や理髪店があったそうです。

2013083015201308301620130830172013083018 「もうちょっと、近くに寄りたいモノではあるなぁー」と身を乗り出す様にズーム撮影を続けました。ほのかに垣間見える室内の感じ、崩壊寸前の階段。

 往時の最盛期にはこの島に鉱員の家族を含めて5千人以上の人々が居住、そして普通の日常生活があった。その人口密度は東京23区の9倍にも達し、世界一の人口密度を誇っていたそうです。

 高給であるにも関わらず、娯楽は少ない(とは云ってもパチンコ店や映画館すらもあったらしい)ので、テレビをはじめとする電化製品の普及率も長崎県下随一だったと云います。鉱員社宅の屋上には森か林の様にたくさんのテレビアンテナが立っていたコトでありましょう。全盛期を撮影したモノクロ写真集などを見ますと、この”遺跡”の価値も一層輝いて見えてまいります。

20130830192013083020 この島は南北に約480m、東西には約160m、周囲約1,200mと、人工的に埋め立てられた部分を含めても、ワタシの想像より遥かに小さいものでした。ここに5千人以上だからな、まさに立錐の余地無しではあるな。

 長崎港からは南西方向に約19Km。往時には定期的な連絡便も存在していたそうです。この島で採掘された良質な炭は、戦前、戦中、戦後を通じてほとんどすべて北九州地区の大手高炉メーカーに運ばれ、鉄造りのエネルギー源となっていたそうです。戦中戦後の混乱期に於ける食糧難も、当所には優先的に配給が回ってきたとのコトで、産業を支えるエネルギー源として最重要視されていた事が分かります。ワタシたちの好きな旧車もソレが国産車ならば、ここの炭を使って精錬された鋼板を纏っていた可能性もあるワケですね。

20130830212013083022 RC造7階建ての端島小中学校(70号棟)。1893年(明治26年)に設立された三菱社立尋常小学校を起源とし、1921年(大正10年)の町立化時に現在地に移転。現在残る校舎建屋は1958年(昭和33年)製。1970年(昭和45年)には体育館や給食設備も新設、島内の一般建物では唯一の給食搬送用エレベーターも装備されました(驚いたことに、他の7階建てや10階建ての高層建築物には、一切のエレベーターが無かったそうです。←これじゃ足腰鍛えられるわぁ:笑)。

20130830232013083024 丘の上から貯炭場を見下ろすように建つのは三号棟職員社宅。主にいわゆるホワイトカラーの幹部職員用住宅で、個別に部屋風呂も装備されていたそうです。

 さきほど御紹介した”下界”の鉱員社宅とはわざわざ違う職員社宅と云う名称を附しているところなど、天上界の人々独特の感覚なのでしょう。貯炭場には掘り出された炭を次々と搬送するためのベルトコンベアーが装備されており、橋桁状の部分がコンベアー台座の遺構です。黒々とした炭が山と積まれた光景を、いつも上から見てはホクホクしていたのでしょうね。「あーイヤらしかねぇー。」

20130830252013083026 名残惜しくはありますが、そろそろ帰り便に乗船する時間となりました。またも、アツさでボーっとしていたために屋外席を獲得するコトが出来なかった”たこちゃんズ”。ビミョーに冷房の効いた(あっ、いや効いてない:泣笑)室内席から”船窓”を通してオモテを見つめます。ああ、ようやく軍艦島らしいカットが撮れました。コレは船会社のサービスとも云えるもので、いったん島を少しだけ離れての全景撮影用の停泊です。今回は軍艦島コンシェルジュと云う業者をたまたま択びましたが、島に上陸する時には麦わら帽子を全員に貸してくれるし、復路の乗船後には、すかさず凍らせたオシボリを配るなど顧客に対する細かい心配りが感じられるサービスの良さが心地よい船旅を提供してくれました。とにかく随行するガイドさん達も大勢乗船しており、絶大な安心感がありましたね。マイクロ・デポも一部サービス業なんだけど、ここは大いに見習うべきだと感じ入りました。

20130830272013083028 そして、今度は上陸時に入れなかった地域を海上から撮影するための停泊時間。

 ズームを最大にしての点描撮影を試みました。右側の画像に写る階段はこの建物に施された独特の工夫で、エレベーターや自動移動通路の無さを補っております。7~8年前まではこういったところの内部まで入りこめた様ですが、相当な危険を覚悟しなければならなかったコトでありましょう。根性無しのワタシにはムリ(笑)。今ではグーグルのストリートビューで疑似体験が出来ますので、こちらもお試しください。

2013083029_22013083030_2 本物の戦艦大和で云えば尾部カタパルトあたりに建つのが端島病院と同隔離病棟(ホントは軍艦島の名前の由来となったのは”土佐”という戦艦らしいのですが:笑)。何しろ人口密度宇宙一(笑)の生活圏でしたから、たとえ風邪でも流行れば大変なコトになります。

 流行病蔓延による石炭の採掘停止は鉄鋼業の命運にも関わる国家的重大事となりますから、些細な症状でも即隔離であったそうです。また、過酷な採掘現場では落盤事故や浸水事故などの事例も多く、殉職された方々、大怪我をなさった方々も数多くいらっしゃったと聞きます。かかる緊急事態に備えて、屋外からいきなり手術室に搬送できる構造にもなっていたそうです。

20130830312013083032 そんな点描撮影時間も済んで、我らが軍艦島はみるみる離れていきました。

 今現在でも造船業の盛んな長崎。スリーダイヤモンドを戴く世界最大級のガントリークレーンが居並ぶ光景は圧巻です。ここは三菱重工業長崎造船所香焼工場前。青空を背景にオレンジ色のクレーンが美しい光景です。先ほどまでのモノクロームでセピア色の世界から一気に総天然色の世界に返り咲いた感じです。

20130830332013083034 あとから思えば、アツかったとは云え天候に恵まれた”たこちゃんズ”はラッキーでした。

 実はこの軍艦島ツアーの実施にあたっては、長崎市が定めた「長崎市端島見学施設条例」と「端島への立ち入りの制限に関する条例」による決してゆるやかとは云い難いシバリがあり、1:風速が秒速5メートルを超えるとき。2:波高が0.5メートルを超えるとき。3:視程が500メートル以下のとき。上記の範囲内においても、見学者が安全に下船できないと船長が判断したときは、ドルフィン桟橋を利用しないものとする。などの規定を設けて各業者が運航しています。7月8月などでは例年3割強の便で、”上陸不可”になっている模様なので、ヨカッタ、ヨカッタ。

20130830352013083036 さて、左の画像、比較的地味な絵柄ではありますが、日本最初の洋式スリップドックと云われている、通称ソロバン・ドック、正式名小菅修船場跡と云うところだそうです。世界遺産の暫定リストにも掲載されていると云うスポットです。

 グラバー園・グラバー邸でお馴染の貿易商人、英国スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバー(T.B.GLOVER 1838~1911)さんもここの仲介に一役買ってたそうです。グラバーさんは長崎関連のどのハナシにもやたらと登場するなぁー。明治の元勲たちにとりいって色々と幅広く商売していた、当時の”政商”といった方だったのですね。こんなハナシも今回初めて知りました。

20130830372013083038 さぁ、復路はアッと云う間に19Kmの道のりを帰ってまいりました。海上保安庁の巡視船を横目に見ながらのターミナル到着です。

 「えびしま@させぼ」さん奥様から昨日頂いた花束も、ペットボトルに差し替えて”飼って(笑)”いましたが、手荷物として預かってもらっていました(水がコボれちゃうからな)。”たこヨメ”が受け取りに行くと、コンシェルジュのオフィスの方は「なんでこのヒトは花束持ってこんなところに来るのダロ」と困惑の表情を浮かべながらも、「まぁー、可愛いお花ですねぇー」とホメてくれたそーです。コレをテーブルに置いて記念撮影、いい思い出になりました。

 それじゃー、また明日!

 2013年3月4日以前の過去記事は、「マセラティでイッてみよう!:Part2」で。

 このブログを読んで、マセラティを初めとするイタリア旧車の世界に足を踏み入れたくなってしまったアナタ(あんまりいない様な気がするケド:笑)は、マイクロ・デポ株式会社の公式ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」の方ものぞいて見てくださいね。さらにディープなネタ、やってます。

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コメント

おおっ、軍艦島の風景は迫力がありますね。
ドラクエと思って上陸してみると風景はメタルギアソリッドの舞台。
ソリッドスネークになったつもりで息を潜めてスニーキングミッションの開始です。
・・・楳図かずおの「漂流教室」で描かれた未来世界のようにも見えます。
現在は廃墟となっておりますが、かつてこの島で働いた人たちが日本の繁栄を支えた事を想うと感慨深い。

軍艦島を背景にマセラティを収めたら絵になるかな?
ならないかな?

残暑厳しい中、お仕事お疲れ様です。
軍艦島のとっても貴重な映像、堪能させていただきました。
風化の度合い、当時の近代的な建物、いろいろ考えさせられます。

あと、現地の廃墟の匂いも独特かと思います。
直接目にすることが出来て、ラッキーでしたね。

 最近また猛暑復活でつらいですね。ホント残暑厳しいです、ご自愛ください。
 さて軍艦島の写真を堪能しました、行ってみないとわからない雰囲気があるでしょうから、行ってみたいです。グレーの朽ちてきた建造物とブルーの空の対比が何とも印象的です。廃墟って、なんともいえない、懐かしいような、哀れなような、それでいて興味をそそられる不思議な気持ちにさせられますよね。都会の真ん中にこんなのあったら、即取り壊しですが、島にあり、取り壊しの費用も莫大で、こうなったのでしょうが、貴重です。後50年もすると、単なる瓦礫の山になってしまうのでしょうか。。。
 この廃墟群をバックに写真を撮るとして、Smさんのいう通り、ビトルボにあうかも。ロッソのシャマルか、Wさまの檀蜜が映えそうです。。。

ああ建物の中に入れないのですね。とするとオブジェとしてのコンクリート構造物の連なる景観という見え方になるのでしょうか。

Street view見てみました。やはり少し「うっ」とくるものがあります。
建物とその中にある人々の活動をつくりだす仕事をしている目から見ると、色々と「うっ」ときます。

ともあれ麦わら帽もお似合いですね。

 軍艦島の模型があるようですね。もう3年前に販売になったものだから手に入らないかな。でもプラモデルではなくて完成品みたいです。プラモだったら、ダメ男の会で作成できるんだけど。。。

軍艦島、行った事は無いはずなのに以前にも行った事があるような・・・このデジャヴ感覚は何故?

ああ、思い出しました。凍てつく冬の軍艦島、金魚の箱ごっこをしていたワタシは窓から足を踏み外してしまったのです。

物置小屋がクッションとなり幸いにも怪我はありませんでした。
ドクター・ブースカが介抱してくれた・・・と思いきや、ブースカの目的は脳改造手術によるショッカー怪人「偽変態仮面」の製造だったのです

辛くも脳改造手術を逃れた坂下はシルバートライデント仮面となり、ショッカーと戦うのだ!

筋書きの無い言葉遊び。りゅたろう先生とはこのコメント欄でしか面識が有りません。ワタクシ本当にしがない営業マン。もう、冷や汗タラタラ・・・。

いやぁ勉強になりました.ありがとうございます.

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