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2013年9月 3日 (火)

たこたこ西日本ツアー2013夏(その10:島原:旧大野木場小学校にて)

 はい、こんばんは!東京練馬は相も変わらずアツくてムシムシしております。この夏、全国的には雨降りの天候であるところが多かったようですが、特にここのところの東京周辺では夕立すらも降ってくれません。ところで昨日、埼玉県の越谷市とか千葉県の野田市などに突如巻き起こった竜巻はこの世のものとは思えないスゴさでしたね。今朝になってニュースで映像を初めて見ましたが、自然の猛威には叶わぬものとあらためて実感いたしました。

20130902152013090216 今日は8月14日(水)の午前中、旧大野木場小学校に到着したところからです。こちらも自然の猛威に関するお話の続きですね。

 今から22年前の火砕流により被災した小学校校舎は、こうして今も災害遺構として遺されております。時が経過いたしますと、どんなに過酷であった事象でも、次第に人々の記憶の中では薄らいでまいります。当時同校の六年生だった生徒も、いまや34才の立派な中年です。時々ここに来ては、当時の出来事に想いを馳せたり、色々と思い返したりしているのかも知れません。

20130902172013090218 校門を入ると、御馴染みの二宮尊徳像が立っています。”昭和十五年二月十一日建之”とありますから、明らかに火砕流を直接被っていると思われますが、これは石像だからこそこうして遺されたのでしょう。

 そのとなりにあるのが”火砕流被災校舎保存記念碑”。かつてはこの被災した校舎にも当然の様に解体撤去の話があったそうですが、噴火による火砕流の凄まじさを後世に伝えるべく、こうしてモニュメントとして遺されました。

20130902192013090220201309022120130902222013090223201309022420130902252013090226 窓ガラスのことごとくは、割れて散逸したのか熔解したのか、そのほとんどすべてが無くなっています。

 窓枠も高温に晒されて大部分がひしゃげた様になっています。

 中を覗くと床の土台部分が露出しています。そんなところをみると、本来の床材部分はすべて焼失してしまったのでしょう。

 校舎側面にある非常階段は手すりも含めて比較的に原型を留めていますが、その階段の下には様々な残骸が錆くれたまま置かれておりました。

 さすがに内部に入るのは危険なので許されておりませんが、校舎の周囲をぐるっと一周して、ところどころでその内部を垣間見る事が出来ました。

 ああ、でも本当にここの小学生に犠牲者が出てなくてよかった。先に現在の新装なった大野木場小学校を見てからこの被災校舎の方にやって来たので、より一層その感を強くいたしました。

 22年の歳月は、徐々に周囲の木々を蘇らせ、そのような木々にとまって啼いているセミの声があたり一面に響きわたっております。自然の脅威はかくも凄惨、そしてまた一方で自然の見事な復元力も驚異的です。人間の無力さを感じるとともに、自らもその天然自然の一部である事を今一度自覚いたしました。

2013090227201309022820130902292013090230 今度は広々とした校庭に目を遣ります。校庭内の目立つところにある”創立百周年記念”の石碑を見上げます。この石碑により、当地域ではかなり古くから存在する、歴史と伝統ある小学校である事が伺い知れます。

 昭和18年の同校卒業生が成人式を迎えた時の記念植樹がこのいちょうの木。一度は熱風を浴びたこの木も、説明看板にありますように見事な枝振りに復活しております。植物の持つ驚嘆すべき生命力を感じずにはおれません。

 赤錆びたジャングルジムとブランコの支柱がもの悲しい雰囲気を醸し出すとともに、何故だか我々の郷愁を誘います。かつての放課後、この校庭には子供たちの溌剌とした声が響き渡っていた事でありましょう。

201309023120130902322013090233201309023420130902362013090235 この島原地方を襲い直接的な大被害をもたらした大規模な火砕流は1991年6月3日のものと、同年9月15日のものと二波あったようです。今回初めて知りました。

 案内看板に掲示された写真を見て、魂消ました。今自分が立っているこの位置から校舎を見ると、そのすぐ背後には濛々たる黒煙が迫り来ていると云う図です。

 この6月の火砕流の時には、この校舎の裏を流れる水無川にそって火砕流本体と熱風が流れていったそうで、そちらの方(島原市北上木場町)では43名もの犠牲者が出てしまったとの事でした。

 今では”島原半島世界ジオパーク”との括りで被災した島原一帯を含む半島全域を火山活動による世界的に見ても珍しい奇観と温泉を売り物にしたテーマパークとしようとしている様ですが、少しだけ違和感を覚えました。一方で、同じ島原半島に属する雲仙や小浜の温泉街では、当時の”風評被害”から長く立ち直る事が出来なかった(実際に平成の噴火による火砕流、土石流、噴煙被害は半島の裏側である小浜や雲仙の温泉街に於いては、まったく別世界の様に問題無かったとの事)らしいので、そもそもが観光立国の地に於いては止むを得ないのかも知れません。あらためて焼けた校舎を見上げてはちょっと複雑な心境となりました。

201309023720130902392013090238_22013090240 些か失礼ながら、いかにも”箱モノ行政”っぽい名目に感じられる建物(特に別称の”砂防みらい館”というのが、いかにも)ではありますが、これは国が置いた施設の様です。旧大野木場小学校跡と隣接する形で建っています。

 当所に到着して早々、”たこヨメ”はここの職員である”きれいなおねーさん”と仲良く談笑し、旧大野木場小学校に纏わる話を色々と説明してもらっていました(ワタシはその間写真撮影に終始)。

 当日も屋外は非常に蒸し暑い気候でしたので、あまり気が進みませんでしたが、涼を求めるつもりで少しだけ中に入ってみる事にいたしました。もちろん入場は無料です。

20130902412013090242 入り口を入ってすぐのスペースがワンフロアの展示コーナーとなっており、火山や噴火、それに纏わる災害についての小中学生の自由研究が展示されておりました。

 「くらしがげき変した」と云うショッキングな大見出しが躍る壁新聞(懐かしいですね:笑←ワタシもムカシ新聞委員だったコトがあるなぁー、そういえば)には、当時の小学生が体験した避難所生活や仮設住宅での暮らしに関する記事が満載でワタシたちの目を惹きました。

20130902432013090244 そろそろ次のスポットに歩を進めなくてはなりませんが、何かがワタシたちを惹きつけるのか、なかなか立ち去り難い場所でした。

 ムシムシと暑い中に立ち、セミの気ぜわしい声を聞きながら火砕流の流れた痕の残る大地を見ていると、自然と人間との関係性や、生活とは?はたまた人生とは?・・・なんて哲学的思索に耽ってしまいます。今は誰も住むことの出来なくなった土地も薄くはありますが若草色に染まっています。

 それじゃー、また明日!今日はちょっとカタかったかな(まっ、タマには真面目なハナシもいいでしょ:笑)。

 2013年3月4日以前の過去記事は、「マセラティでイッてみよう!:Part2」で。

 このブログを読んで、マセラティを初めとするイタリア旧車の世界に足を踏み入れたくなってしまったアナタ(あんまりいない様な気がするケド:笑)は、マイクロ・デポ株式会社の公式ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」の方ものぞいて見てくださいね。さらにディープなネタ、やってます。

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コメント

いちょうの話は心にズンときますね。

郷愁を誘う校舎遺構の風景の中で思索する、または無心になる事で新たな境地が開けるかも知れませんね。
観光客が少なそうなところが良い。

この旅行記、もう「その10」に突入しておりましたか。
とても濃い内容です。勉強になります。

本日、プラスチッキーな内装の営業車で盛岡まで行ってきました。
地味な内外装で気分が高揚しないクルマなので疲れないから営業車には丁度良い。
一方で、ビトルボの質感は「鋼鉄と本革」。休日に時間の経過を楽しむには凄く良い。しばらく放置したままですが・・・。

火砕流 越して茂れる いちょうの木

そのまんまですね(笑)

われわれも 「生きねば」(また(笑))

火砕流の件、「1991年6月3日」ははっきりと曜日を覚えていましたが
9月15日の二波についてはワタシも初めて知りました。

校舎背後の黒煙の写真、当時のものすごい緊迫感が伝わります。
こういった映像は現地に出向かないと知ることのないことであり、旅の楽しさと共に
貴重な体験(経験)を披露してくれて有難いことだと思います。


 この普賢岳の噴火で、初めて火砕流という言葉を聞きました。校舎裏の巨大な噴煙と校舎から逃げ出す児童の写真は驚愕のワンショットです。この後逃げて助かっているのですから。何よりです。しかし水無川を下った火砕流で多くの方が亡くなっていることを考えると、この小学校の遺構も後世に伝えていく重要な役目を果たしています。
 復活した「いちょうの木」をみて、陸前高田の「奇跡の一本松」を思い出しました。自然の脅威に対する自然の驚異とでもいうのでしょうか。声なきものの姿が、人の心に届く訳です。。。
 グー○ルのスト○ートビューで現地をみてみました。実際に現地に行くのとは大違いですが、たこちゃんの写真と同じアングルで小学校を見ることができます。便利になったものです。。。

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