たこたこナゼか雪国へ(その3)
はい、こんばんは!今日のワタシは午前中からマセラティ430前期型(目黒のHさん号)の集中ロックモーター交換×2を行い、一方でデポ場内の三男さんは、マセラティクアトロポルテ前期型(神栖市のKさん号)のエンジンシリンダーヘッド降ろし(コレも想定外:泣笑)を行っておりましたが、まぁー、スタッドのアタマに締め付けられたナットのいい加減なトルク管理(ツルッとハズれるのもあれば、リーチが70センチもあるレンチを使ってもテコでも緩まないのもあったりして・・・)には閉口しておりました。だーからヘッドガスケットが平らに付かずにいたのですね。こうしてガスケット交換すればこの先は安心と云うワケです。
夕方になって昨日のコメント欄を拝見いたしましたら、「町内会のMさん」から「長岡はそんなに厳しかったですか。私は東京で招待日に行ったので逆流し放題でした。MJ系のミニチュアは完成度が素晴らしかったですね。 本気で見ると一日では足りない幸せ世界でした。因みに私はヘッドライトパーツの接着にはもっぱらクリア塗料を使います。」との有難~いおコトバを頂戴いたしました。さすがにMさん”ヲタク界の超セレブ”だけの事はありますね、いいなぁー(長嘆息)。”MJコーナー”にはホントに一日中滞在出来る自信がある(笑)。最後の一行にある”工法”は素晴らしいですね。ワタシも今度試してみたいと思います(塗料は”水性アクリル”でもよろしいのでしょうか・・・ブブッと貼って、ハミ出したクリア塗料は水を染ませたティッシュで拭き取りたいのでありますが:笑)。
・・・と、そんな”特撮博物館”を、後ろ髪をヒカれるようにあとにいたしまして、美術館からはちょっと離れたバス停留所を目指します。
あいやー、オモテはいまや猛吹雪の様相を呈しております。そんなに気温自体は寒く感じなかったんですけどね。まっ、それでも傘なんかさしても、まったくのムダ。
この美術館のほとんど対面は、かつて小泉首相が有名にした”米百俵”の碑かなにかがある公園らしい(写真のワタシの右側)のですが、ぜんぶ雪に埋もれている様子なので、今回はパスでバスの方へ(笑)と。
で、バスは長岡駅周辺市街地に何の問題も無く到着し、縦横に張り巡らされたアーケードの下を択んで歩きつつ、ホテルでもらったガイドマップを見ながらとりあえず到着した次なるスポットは、ここ「長岡戦災資料館」です。この時は吹雪の具合も最高潮でありましたので、”雪やどり”を兼ねての入館(無料だし)です。
第二次世界大戦時しかも終戦直前に、長岡はこのジオラマにありますように市街地がほとんど全焼するほどの酷い空襲に遭ったそうで、その惨禍と、平和の尊さを後世に伝えてゆくことを目的にしてボランティアで運営されている資料館なのだそうです。地味ながらじっくりと見れば深そうな資料館でした(今回は駆け足でしたが)。
・・・続きましては、T田鉄矢氏とは大きく志向が違い、”幕末系ネタ”には「おぐ」さん風に云えば「目に一丁字もござらぬ」このワタシ。
当ブログのヘビー読者の皆さんはすでに御存知のように、”昭和”と名が付けば自分が生まれる以前のハナシにいたるまでだいたいついてイケるのですが、モボ・モガ、大正デモクラシー、自由民権運動、足尾銅山・・・うー、このあたりが遡れる限界かな(泣笑)。
あ、ここ「河井継之助」さんって”長岡の郷土の英雄”らしき方を顕彰する記念館らしいのですが、実際にココへ赴き、中を閲覧させて頂いた結果、「・・・で、結局ナニをしたヒトなの?」と顔を見合わせている”たこちゃんズ”は、やはり正真正銘のアホ(上の”ウィキ”リンク先を読んですらも、”歴史物ヲタ”が色んなコトを書いてるから、やっぱサッパリ:泣笑←ダレか”30字以内:句読点を含む”でこの人物をマトめてちょ)。
なにやら戊辰戦争がどーのこーのとか随所に書いてあるのですが、戊辰戦争と云うのがコレまた幕末あたりの出来事であるといったところまでしか分からないのでは、まったくハナシがはじまりませんよね。
とりあえず”ネタ”にはせねばならんので、当時の”野戦コート?”とか継之助(つぎのすけ→だいたいコレもここに入るまで”ままのすけ”だと思ってた:笑)さんが使用していたという謂れの”軍扇”、各種掛け軸などなどを撮影すれども、説明は出来ず(泣)。
二階に上がって、ちょっとだけ”得心”。「ああ、司馬遼太郎先生の”峠”の元ネタなんだぁー」と。
コレなら、無学モンモーのワタシたちでも知ってる(題名だけだけど)から興味が持てるナ。直筆原稿はこの写真の他にもたくさん展示してあるので、「ああ、”文豪”と云うのは、こうして、こんな字で原稿を書くのか・・・ヘンシューのヒトはたいへんそーだよなぁー」との感想も持てました。
階下に降りてきて、出入り口付近まで戻ってまいりますと、そこにこうした”概説”看板が・・・どっちかって云うと、コレこそをいちばん初めに読みたかったヨ(泣笑)。
で、おそらくは当時の”内戦”に一気にカタをつけるべく、メリケンさんから導入されたのであろう”ガトリングガン”が美しくレストアされて展示してあったので、フィニッシュにはコレを撮影。窓のオモテを見ると、猛吹雪はいまだ絶好調・・・まだしばらく居るの?ココ(笑)。
それじゃー、また明日!
2013年3月4日以前の過去記事は、「マセラティでイッてみよう!:Part2」で。
このブログを読んで、マセラティを初めとするイタリア旧車の世界に足を踏み入れたくなってしまったアナタ(あんまりいない様な気がするケド:笑)は、マイクロ・デポ株式会社の公式ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」の方ものぞいて見てくださいね。さらにディープなネタ、やってます。
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コメント
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山本五十六長官搭乗の一式陸攻と護衛機の零戦の模型が臨場感をそそります。しかし、機首に火力を集中させ高速一撃離脱が得意の双発機P-38ライトニングが相手では零戦での護衛は厳しいか。歴戦の勇・杉田庄一(新潟出身)でも阻止出来なかったものなあ。紫電改or烈風で護衛出来ていたら。
・・・その向こうに見えるB-29スーパーフォートレスと護衛機P-51ムスタングは最強タッグ、この組み合わせは強過ぎてズルいゾ米軍。
ガトリングガンはグレッグ大尉搭乗の地上攻撃機A-10サンダーボルトⅡの武装をイメージしていたのですが、ラスト・サ○ライの終盤に登場したクラシカルな兵器でしたか(ひょっとして手回し型?)。
意表を突かれました。
投稿: Sm | 2014年1月 9日 (木) 22時14分
すみません。
「河井継之助」さんサッパリ分からず。
”ウィキ”解説の文字多すぎです。。。
今晩練馬も雪交じりでしょうか。
どうぞ暖かくしてお休みください。
投稿: Wさま | 2014年1月 9日 (木) 22時45分
暮れにたこちゃんブログの前振りを目にし、
正月、嫁の実家に、
読みなおそうと思って持参して、
『峠』の上巻を置き忘れてきてしまったようです(笑)
手元の中巻と下巻をパラパラめくりながら愚考していたのですが、
なぜ作中の継之助に惹かれるのか、うまく説明できませぬ…
100年先の「日本」を見通す千里眼を持ちながら、
あえて七万石の長岡藩士、という立場に拘泥した男。
揚屋遊びが好きなところにも惹かれます。
同族会社に勤めるサラリーマンの一つの理想像、かな。
わけわかんないな俺、…と思いつつ、送信(笑)
本日登場の2つの博物館、必ず死ぬまでに訪れてみたい場所となりました
投稿: いつかはシャマル | 2014年1月 9日 (木) 23時14分
「百年先を見越す眼力を持つ、幕末の些か好色な七万石旧長岡藩士。」→コレでジャスト三十字(句読点含む:笑)なんですが、採点の方は如何でしょう。・・・やっぱ全然云い尽くせてないよな気がするなぁー。
投稿: たこちゃん | 2014年1月 9日 (木) 23時48分
ガトリング銃 たしかに手回し
http://www.youtube.com/watch?v=4zYEDB4hM9E
投稿: いつかはシャマル | 2014年1月 9日 (木) 23時51分
好色っちゅうのはちょっと違うと思いますけどw
江戸への出立の挨拶代わりに芸者遊びの席に奥さんを呼びつけたり、
(単身赴任直前に駅前の行きつけスナックに奥さんを呼ぶ感じ?w)
当時よくあった、それを収益源とする宿場で、あえて朝まで飲み明かしてお小遣いをばらまき、
そのまま旅立ったなんて逸話も記されております。
要するに、侠気なんですよねぇ… 遊びがわかっているというか。
しかし、何回読み返してみてもたこちゃんのまとめには無駄がないと思います。
素晴らしい!
「いささか好色」も含め、私もそんな生き方がしたいなぁww
投稿: いつかはシャマル | 2014年1月10日 (金) 00時05分
大変オクレバセながら、旅行記を拝見させて頂いております。
やっぱりメインの特撮展は大変結構ですな。
私、実物は見損なったのですが、あの精緻なジオラマの写真を見るにつけ、
あそこら辺のスタッフはゼネプロ時代から1mmたりとも
精神年齢が進歩していないのだなぁ・・・と、大変清々しい
思いがしております(笑)
もう、昔彼らが作った自主映画「八岐大蛇の逆襲」そのまんまですもん。
同世代の人間として、ああいう生き様は見習いたいものです。
あ、「八岐大蛇の逆襲」はYouTubeにありますから、
おヒマが有る時にでもご覧頂ければと思います。
話はスットコドッコイですが、特撮クオリティは30年前の
自主映画にして、今回の特撮展に勝るとも劣らない出来ですよ。
まぁ逆に言えば、あの連中は30年間、ずっと同じ事をやっている訳で・・・
それで、日本特撮界の重鎮になっちゃったという・・・(笑)
いや、本当に素直に素晴らしく、羨ましいと思います。
で、本日は噂の一式陸攻ですね。
私には、手前の零戦が22型なのが、大変ツボであります(笑)
資料館の方々、分かっていらっしゃる。
で、こちらも機会があれば、三船敏郎主演の「連合艦隊司令長官 山本五十六」を
是非ご覧頂ければと思います。
円谷操演特撮に於ける、一つの到達点がここに凝縮されておりますよ。
河井継之助は知りまんので、パスという事で・・・(笑)
しかし、このペースでいくと、今回の旅行記は早く終わってしまいそうですね。
終わり頃に、またお伺い致しますね・・って、明日か明後日くらいか(笑)
あ、特撮好きの方用に「特撮 プロップス 倉庫」というブログをご紹介しておきますね。
社長、ここモロにツボだと思いますよ(笑)
投稿: Hでございます | 2014年1月10日 (金) 02時12分
ところでこの一式陸攻が、じつはたこちゃんさんが長いことじりじり作り上げられて逸品だったりして。
投稿: おぐ | 2014年1月10日 (金) 13時50分
あぁーやっと終わった。コメント書いてなかった!って、やはり「河井継之助」さま、存じ上げませんでした。失礼致しました、不勉強で。
Hでございますさまの「八岐大蛇の逆襲」は家帰ってみてみよーと思います。
おぐさま、確かに雪国に行く時のズボン下(タイツ?股引き?)での、防寒対策は新幹線の中ではサウナ風呂になりますね(2日前のネタ引きずってます)。。。とはいっても、東北に入ると、さみーですからね。困ったす。とはいえ、実は、私はズボン下を履かない人なんです。寒くても頑張る!小学生の頃は、半ズボンだったんだからと言い聞かせて、、、、
「一式陸攻」っていうのも知らなかった、この零戦みるとなんか目頭熱くなるんだな。ナゼだろう。
投稿: 練馬のH | 2014年1月10日 (金) 18時03分
↑皆々様方、いつもコメントを有難うございます。”河井継之助”は、知らないのワタシだけかと思いきや、結構皆さんも御存知無い様で・・・ホッ(笑)。ああ、「特撮 プロップス 倉庫」のサイトは既にずいぶん以前からワタシのブックマークに入れております。このブログ主の方もずいぶん特撮博物館にプロップの貸し出しをなさっていたようですね。ところで30代のはじめより”モモヒキ”状の下着を装備しているワタシは、やっぱヘタレでしょうか(いよいよ、今では”ヒー○テック”常用だし:笑)。コレでも小学生の頃は6年生まで半ズボン(クラスにはワタシ含めてもう一名のみ)だったんだけどな。
投稿: たこちゃん | 2014年1月10日 (金) 21時55分