はい、こんばんは!実に10日前くらいから、いつか書こうと思っていたネタを昨日開陳したら、意外にも反応が多くて、ちょっと驚いております。まぁ、本文と云い、コメントと云い、ソレらを読む限りでは、ワタシ(たこちゃん)の「IT嫌いな初老アナログオヂサンの独善的な戯言」に過ぎないと、お若い方々やスマホをバコバコ使える方々からはきっと思われたコトと拝察いたします。気分を害されていたら申し訳ありません。
昨日コメント欄の中では「テクノロジーの進化は、もう人間の生理を超えているんじゃないかと・・・・」との「調布のU」さんの御意見や「デジタルもアナログも中道のこころと思うのでありますよ」との「ひこうき班長」さんの仰られる言葉がワタシの気持ちを代弁してくださっている様な気がいたしました。
現在のIT産業と云うのには、大雑把に分ければ「パソコン」と「携帯電話(端末)」そしてそれぞれを色々と活用するための「コンテンツ事業」や「ソフト(アプリ)開発事業」などなども含まれてくると思いますが、ここからは、一旦現在の「ITなるモノ」からは離れまして、極私的な思い出から何かを導き出せないかと書き進めてみようと考えております。
昭和38年(西暦1963年)11月生まれのワタシは目下のところ満50才であります。無線であれ、有線であれ、「通信」に興味を抱いたのは、やはり「糸電話」と云うメカ(笑)を「こども百科事典」的な本の中で読んでからでありましょう。糸さえピーンっと張れば、遠くに居る人間とお話が出来る。こんなに画期的なモンがトイレットペーパーの芯二つと、薄紙、(フエキとかヤマトとかの:笑)のり、そして数メートルの木綿糸だけで完成するなんてユメの様でした。隣の家のヤツと窓越しにこの”回線(笑)”を施設して、初めて会話が成立したときの驚きと喜びは言葉では言い表せぬホドの感動でありました。
トランシーバー、電子ブロック、マイキット(そして、現在においても今更ながらやってみたいアマチュア無線)・・・当時から科学教材としてコノ手の商品は存在したのですが、ソレらはどれも雲の上(って云うか、宇宙の果て:笑)の存在で、到底手に入れるコトなどは能わずでありました。この時期に我が親がこのあたりの教材玩具をワタシに買い与えていたら・・・今頃ワタシはビル・ゲイツかスティーブ・ジョブズみたいになってたカモ知れない(笑)。
大好きな”特撮モノ”の中では、地球防衛隊や怪獣やっつけ隊の本部での、無線(?)によるやりとりのシーンが数多く出てきました。壁には必ず、磁気テープが回っているかの如きディスプレイ(きっと、大型汎用コンピュータをイメージ)があり、今ではスッカリ廃れたテレックスの紙テープ(ウチのヨメは、かつてコレを読み取る仕事をしていたコトがあると云うので、やっぱり”そーとートシあるね”なのでありましょう:笑泣)がウジャラウジャラと際限なく出てくるシーンも頻繁に登場しました。
中でも、今に至るまで同年代人のココロに引っ掛かっているのは「ウ○トラ警備隊のビデオシーバー(リンク先では、アンヌ隊員の「隊長がもうプリプリよっ!」直前シーンが画面に見てトレます:笑)では無かろうかと思います。だいたい、無線通信と云うモノは行きも帰りも同じ回線(周波数)を使ってたんで、「○○は××でありますっ!どうぞ(とかオーバー)」なんて会話になる。要するにコチラの要件をしゃべり終わったあとに、必ず相手の発話を促す様に「どうぞ」と語尾に付けなければなりませんでしたよね。その点ビデオシーバーは、現在のスカイプなどと同様に双方向で映像と音声をやりとりしていたと云う点で(当時はいまだ空想の世界の産物ではありましたが)画期的なモノでした。
長じてからは、街頭の公衆電話の変遷を見るコトにもなりました。赤電話やピンク電話から青電話、黄電話(100円が入る市外通話向き)、緑電話(テレホンカード使用可)、グレー電話(ISDN回線)とソレは移り変わっていきました。
自宅の固定電話も、ダイヤル式黒電話→プッシュホン→コードレスホン(しまいにはFAX付き)と、斯様に進化してまいりました。
社会に出て、初めて「ポケットベル」なる端末を持たされました。コレもピーピーと信号音を発するダケの原初のモノから、メッセージ付きなどと云う中途半端なモノに進化し、そのうちに消滅し、主にコスト面でポケベルに相当する事からPHSなるコレまた中途半端な「亜携帯電話」的なモノへと変化してしばらくは残りました。今から思えば「メッセージ付きポケットベル」と云う「最低最悪の端末(その理由は後日述べます:笑)」に現在の電子メールに於ける煩わしさ(既読スルー問題など)の萌芽を見ます。
ワタシ、携帯電話に関しては、「歩く字引」と仰って頂いても構わないくらいに、一番初めの頃から使ってました。そういった意味ではこの分野に於ける歴史の証人であります(笑)。自動車用移動電話もショルダーホンもハンディホンもすべて使用歴があります。この時代の製品はとにかく電池がたいへんで、ホントにアッと云う間に電源が無くなったものです。機関銃のカートリッジの様に、予備の電池を次々に装填(笑)しながら通話していたモノでした。
そのうち、リチウムイオン電池の技術開発が一気に進み、半導体技術もいよいよ急速に進化いたしました。ソレらが携帯端末の小型化と高機能化と電源寿命の長期化をもたらしたコトは云うまでもありません。
このあたりの時期から、そもそも別のカテゴリーに属していたハズの「通信」と「情報処理」が徐々に(そして一気に)融合し始めた様に思います。今で云う「IT」の萌芽ですね。
そもそもペンタゴンか何かが開発した軍事技術、ソレがインターネットであったハズ。何故だかソレが民生用に普及したのは、今から思えばいったい何だったんでしょうね。
時代をちょっと元に戻して、ワタシが大学生で、まだ紅顔の美少年(笑)であった頃。いまだコンピュータの世界は汎用コンピュータ(オフィスコンピュータ:オフコン)が主流で、現在パソコンと呼ばれている様な形態のモノは一般家庭にある様なモノではありませんでした。コンピュータ言語の方も、現在のようなパソコン主体では無かったもので、”BASIC(ベーシック→現在ではビジュアル・ベーシック)”が主流では無く、”COBOL(コボル:主に事務処理用途)”とか”FORTRAN(フォートラン:主に科学技術用途)”など用途によってまちまち。それぞれの言語を駆使するシステムエンジニアとかプログラマーなんて仕事もその頃は最先端の花形職業と目されてましたね。
大企業用や、大規模システム用、超高度計算用の汎用コンピュータはともかくとして、今では家庭にあるパソコンやスマホで、ほとんどの事が出来る様になってしまいました。昭和は遠くなりにけり。
30年ほど前は、「大規模汎用コンピュータと萌芽期のオフコンと玩具的なマイコン(マイクロコンピュータ)」しか存在しない世界でした。
20年ほど前からは、ソレらにパソコン(パーソナルコンピュータ)が加わり、従来からのほとんどの情報処理アイテムを凌駕して発展し、そのまま現在へと繋がります。
ワタシは25年ほど前、原初のオフコンからコンピュータとの関わりを持つ様になりました。その頃オフコンに装備されていたHDD(ハードディスク)は容量が天文学的に(あ、逆か?:笑)低かった上に、キャッシュメモリなんて「いったいナンのコト?」状態でありましたので、例えばワープロひとつ使う場合にも、そのたびに大きな紙製フロッピーディスクを二枚いちいちアップロードして使う様なシロモノでした。日本語変換機能も今の目から見れば途方も無くトロいモノで、到底実用性がある感じではありませんでしたね。
・・・いい加減にツカれたので、続きは明日にいたします(チキン野郎と呼んでください。:泣笑)。
2013年3月4日以前の過去記事は、「マセラティでイッてみよう!:Part2」で。
このブログを読んで、マセラティを初めとするイタリア旧車の世界に足を踏み入れたくなってしまったアナタ(あんまりいない様な気がするケド:笑)は、マイクロ・デポ株式会社の公式ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」の方ものぞいて見てくださいね。さらにディープなネタ、やってます。