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2014年6月 3日 (火)

たこたこ北紀行2014GW(その17:夕張石炭博物館①)

 ホッ・・・全国的に暑い真夏の様な気候に蹂躙(笑)されてきた、ここんところの日本列島ですが、本日はいち早く九州地方がツユ入りしたそうですね。早速激しい雨が降るとの予報が出ておりましたが、九州の皆さんがお住まいの地域では如何でしたでしょう。・・・はい、こんばんは!当ブログはそんな九州とは対極にある北海道ネタをま~だ懲りずにお送りしております(ちなみに今日の北海道、気象庁に拠れば午後2時すぎに音更町と云うところでで37.8度を観測したそうです。90年前の帯広でのレコードに並んだとのコト・・・いやはや)。

201406020120140602022014060203201406020420140602052014060206 (前回の続きです)・・・えっとねぇ、まだ時計の針が4月29日(火)の午後なんだヨ、コレが。

 途中の通行止めによる大迂回も乗り越えて、ようやくヤッてまいりましたのが、ここ”元”炭鉱の街、夕張。

 市街地のあまりの寂れ具合に驚きつつも、ひとり気を吐く観光スポット、石炭博物館を訪れました。

 メインエントランスの周囲では、中に入るともっとスゴそうなモノが待ち受けているコトをイメージさせる様に、煽り看板や、コレでどーだ!的現物展示が出迎えてくれます。

 実際に、ワタシたち”たこちゃんズ”は意外にも高価な入場料にちょっとダケ怯みました。「ねぇ、どーするぅ~?」「まっ、一生に一度のコト(たぶん:笑)だから」みたいに些か大袈裟な会話を取り交わしてから、結局は入場するコトといたしました。その決断に”効いた”のは「まっくら探検実施中!」の大看板。アタマに作業灯の付いたヘルメットを被って、かなーりリアリティのある炭鉱内を歩いて探索するコトが出来ると云う。こりゃちょっと魅力的な体験だわ。

201406020720140602082014060209201406021020140602112014060212 早速、入場料を支払って、館内へと誘われます。玄関付近で異彩を放つのは後光の差した「サリバン型エアーコンプレッサー」の巨大な現物展示。

 続いては、かつての当地で採掘されたという巨大な炭鉱石(と云うよりも岩)の展示がコレでもかと並んでおります。

 画像では、残念ながらその巨大感がいまいち伝わっておりませんが、ホントにドデカイです。地下の坑道からどのようにして運び出したのかが摩訶不思議でありますが、きっと何もかも想像を絶するような巨大装置が装備されていたのでしょう。

 とにかく、まずは「いいからデカさに驚け!!」・・・コレが博物館の狙いである様です。散々ドデカイ炭鉱石を眺めたあとには、「どーして(どーやって)石炭が出来るのかな?」と云う素朴なギモンに悠久の大昔から遡って答えてくれる自然科学コーナー的展示に突入いたします。ここでもまずは巨大なアンモナイトがお出迎えしてくれます。

201406021320140602142014060215201406021620140602172014060218 北海道の炭鉱と”メタセコイア”の樹には切っても切れない関係があるらしく、館内の随所でこのハナシが出てまいります。

 太古のムカシに北の大地を覆っていたメタセコイアたちが、その生命を終えて徐々に地中に埋没し、大量の埋蔵量を誇る石炭となったのですね。

 いつの時代もエネルギーをどう確保するかと云った課題は、産業振興・国防・生活の省力化近代化などを考えた時には避けて通れないものです。

 先人たちは、まさに命を掛けて、このエネルギー問題に取り組みました。

 コドモ向けのプロパガンダ看板には、こうして色々な物品を製造する場合の(あたかも)原材料として石炭が使われている様な絵が描いてありますが、ここはキッチリと、キレイごとではないエネルギー源としての石炭の重要性を説いて欲しいところです。石炭の樹のしたで遊ぶコドモたちはその服装から明らかに”昭和の子ら”であるコトが分かります。少なくとも東京のハズレの公立小学校に通っていたワタシは、社会科の授業でこのあたりをキッチリ教えてもらったコトが無かった(忘却の彼方?:笑)様に思います。

2014060219201406022020140602212014060222 そんな偉大なる先人、炭鉱に生きた男たちのツラ構えを見よ。

 毎日が過酷な戦場、ひとたび坑内に入れば命の保証はほとんど無い。朝入坑した人数が、夕方同じ数戻ってきたら、それは僥倖と云えるかも知れない、そんな環境。

 頭上からは粉塵舞い落ち地下水も滴り落ちる坑内での昼食、真っ暗闇の中で、真っ黒に煤けた顔と手のままで弁当箱を広げています。

 そのような過酷極まる一日の作業を終えての無事帰還、そして続いての入浴は得も云われぬほどの開放感と充実感を彼らにもたらした事でしょうね。そして頼もしくも優しいお父さんの顔に戻って、待ち侘びる家族の住む炭住へと帰って行ったのでしょう。 

20140602232014060224 ・・・と、このあたりまで調子に乗って写真をビシバシ(それでもヒカえめに)撮りまくっておったのですが、気が付けばデジカメのバッテリーアラームがチカチカと点灯しております。

 このあとの”本丸(地下坑道探索)”を前にして、デジカメのチカラが尽きてしまってはタイヘンですが、充実した展示品の数々や無数のモノクロ写真パネル群はドレも出来れば撮っておきたいモノばかりで取捨選択にコマってしまいます。

20140602252014060226 ところで、自分にとって、”北炭”と聞いて想起される事象は決して芳しいものではありません。

 本邦に於ける石炭採掘事業にとどめを刺したとされる夕張の”新炭鉱”で起きた痛ましい事故は、まだまだ記憶に新しいものであるからです。三十数年の歳月は経過いたしましたが、関係者にとって、その深い心の傷は到底拭い去る事の出来ないものでありましょう。この博物館ではそんな忌まわしい惨事の詳細を今に伝えるコーナーもキチンと整備され、写真パネルや当時の新聞記事によって誰の目にも分かりやすく展示しておりました。自分もパネルの前で、しばし黙祷いたしました。

20140602272014060228201406022920140602302014060231201406023220140602332014060234 博物館も入口付近の巨大でマクロなハナシ(云わば総論)から、石炭産業と社会との関わりを論じ、さらに奥へと進むに従って、次第に技術的”各論”の展示が目に付く様になってまいります。

 ワタシの様なトウシロには判りかねますが、おそらくは掘削する相手の岩盤の性状に合わせて、幾種類もの切削工具が用意されていたものと思われます。このあたりは金属加工用のバイトエンドミルなどとも相通じるモノがありそうです。

 各種工具の他には、坑内での人員移送に使われていたトロッコや、ありとあらゆる種類の酸素ボンベやガスマスクの類。ホントはもっともっと大量に展示してあったのですが、デジカメのバッテリー残量との兼ね合いで泣く泣くコレくらいにしておきました。

 時に一酸化炭素が噴出する危険な坑内で、作業員の方々の命を繋いだ”防具”のひとつひとつには真剣さが溢れており、細部まで目を凝らして見ますと隅々まで真面目に作られている事が分かります。誤解を恐れずに云えば、機能美すらも感じさせてくれる逸品の数々なので、ワタシは10分くらいこのあたりの展示品にクギ付けとなって凝視しておりました。・・・「あっ、アレ?”たこヨメ”さんは?」あきれてズカズカとかなーり先まで行っちゃってる様子です。「お~い、待ってちょ~」

 それじゃ、また明日!

 2013年3月4日以前の過去記事は、「マセラティでイッてみよう!:Part2」で。

 このブログを読んで、マセラティを初めとするイタリア旧車の世界に足を踏み入れたくなってしまったアナタ(あんまりいない様な気がするケド:笑)は、マイクロ・デポ株式会社の公式ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」の方ものぞいて見てくださいね。さらにディープなネタ、やってます。

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コメント

Iです。
音更町ほどではないですが、札幌も今日こそは30℃超えでしょう。多分!
今日も早めに退社できましたので、今コメント入力しておりました。
そういえば、退社前にたこちゃん様から、「ありえないだろうと思いつつ勢いで書き込んでみた事が現実になっちゃったの~」というようなメールが来まして、なんとかしなければと思っております。

皆さんお晩です!!

炭鉱と言えば、石炭が「黒いダイヤ」といわれて、日本のエネルギーを支えてきました。
しかしそこには必ず「落盤事故」が隣り合わせでありました。
今朝の連続テレビ小説では、まさにその事故のシーンであります。
石炭から、石油、そして原子力へと、エネルギーは変化してきました。
人間の欲望は限りないものですし、それを止める、いや自制するすべは
なかなか見つかりません。その欲望を満たし、実現できた事は
多くの犠牲者の方の上に成り立っていることを忘れてはならないと思います。
翻って「マイクロ・デポ」さんの存在は、少し大袈裟にいえば、限られた資源を
有効に、そして楽しみながら、生かしているのではないかと思います。
まぁ~そんなに理屈っぽく言うことではないのですが、デポさんの心意気は
見習っていきたいと思います。
とはいえ、待ち遠しいなぁ~~笑

↑御両人様、毎日有難うございます!今日も暑かったですね。先ほどディーラーサービスセンターのフロント氏が来まして、「やっぱ、今こそビトルボのマセラティを自分が欲しいですヨ」なんて宣っておりました。デジタルとアナログの程良い融合、コレがいいんですね、きっと。

 石炭博物館!とうとう夕張の今はなき産業の語り部に到着しました。小学生の時、守衛さんの居る守衛所の横に石炭置き場があって、その黒いダイヤを見たことがあります。初めはなんだかわからず、友人がかっぱらって持っていました。守衛所では石炭ストーブ使っていたんですよ。
 そして、セコイアは、アメリカのヨセミテ国立公園の一部に巨大セコイアがあり、見に行ったことが有ります。炭坑での仕事は想像する以上に苛酷だったんですね、この写真で、十分理解できます。最近も他の国で落盤事故が起きたりしていますし、日本では過去のことでも、まだまだ石炭を含め鉱物の採掘現場は、過酷なのですね。そして装備品の数々、たこチャンが反応するのがわかります!さてはて明日は。。。なにが出て来るのかな?
 北海道で、落盤事故とかいうと、どうしても豊浜トンネルの崩落事故を思い出してしまいます。確か余市にいく国道だったような。

古代に繁栄したメタセコイアが悠久の時を経て石炭になるまで数千万年。
気が遠くなるほどの年月ですが宇宙の歴史から見ればこれもまた一瞬。
ましてや人生などちっぽけで儚く、些細な事でクヨクヨ悩むちっぽけな自分に笑けてきます。
人生は儚くも美しい。そしてマセラティも、また。
この人生を楽しむ為にも、儚くも美しいデポ謹製車両を愛でるとしませう。

でも、この夕張炭鉱が日本の繁栄を支えたのですね。その礎を築いた先人たちに敬意を表します。
現在の夕張は昨年のブログの軍艦島編を彷彿とさせます。いやいや、夕張だけでは無く、全国の多くの自治体が将来、消滅しかねないとTVで報道されておりました。
・・・政治家の皆様、なんとかしないと。
万人が損得抜きに人生に価値を見出せねば・・・その筆頭、日々匍匐で全力疾走するマイクロデポ優遇策を支持致します。

貴重な写真・記事を拝見させていただきました。
「三菱南大夕張炭鉱 閉山 1990年3月27日」というのがつい最近(それでも平成2年)
のようで意外に感じましたが、確かに痛ましい事故があり結果閉山に至ったのでしょう。
合掌。

↑おお、「三巨頭(笑)」の皆さん、いつも有難うございます!&全国の皆さんおはようございます。関東圏の暑さはちょっと一段落したようですが、季節の変わり目、くれぐれも御自愛くださいね。さぁ、今日も元気でイッてみよー!!

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