はい、こんばんは!本日の東京練馬も昨日と”以下同文”的な、ハッキリしない曇り空から一日中断続的に小雨がショボショボ降る様な天候でありました。一方、工房内での作業の方は、日々ジクジクと匍匐ながらも進んでおります。

この夏休みの最初の日、8月10日(日)の大分も、スッキリした台風一過などではなくて、御覧の様にハッキリしない天候。断続的に時おりパラパラと雨が降る様な一日でした。どうも最近の台風は過ぎ去ってしまってからもしばらくの間は影響を引きずる傾向にある様に思います。スカっとした””台風一過”と云うのがメッタにありません。ああ、ここで初めて外観の写真が出てまいりました。この旅の伴侶たるレンタカーの「日産マーチ」君であります。りゅたろう先生のアルファ147GTAにくっ付いて走り、次の目的地を目指しましょう。

・・・で、ヤッてまいりましたのが、全国に四万社あると云われる八幡様の総本宮、「宇佐神宮」であります。
”たこヨメ”のたっての希望は、「パワースポットに行って、せめて”たこちゃんズ”の老後をなんとか出来る様に御願いしたい」と云うモノ。いつまでたってもダンナがハナ開かない(泣笑)ために、彼女は、もはや全国・全世界の八百万の神様に御祈念するしか無さそうです(笑)。

はじめの鳥居をくぐり抜けますと、コチラの蒸気機関車が目に入ります。
かつては当地に宇佐参宮線と称した鉄道が施設されていたそうです。まさに先ほどまで滞在していた豊後高田”昭和の町”にある”昭和ロマン蔵”の隣り、いまや広大なコインパーキングになっちゃってるあたりが起点駅の豊後高田駅が存在した場所らしいのですが、8.8キロの道のりを、途中国鉄(現JR)日豊本線の宇佐駅を経由しつつ、しゅっしゅっポッポとのんびり走っていたコトでしょう。1965年(昭和40年)に全線廃止となった様なので、ワタシが生まれてからも、こんな古式ゆかしい車輌がしばらくは現役で走ってたのかと思いますと、感慨深いモノがありますとともに”トシあるね”の方も実感いたします。



続いては宇佐八幡神輿を奈良東大寺の大仏殿まで担いで参拝したと云う、いにしえを偲ぶ豪壮かつ荘厳なイベント(宇佐八幡神輿フェスタ)が行われたのを記念した石碑が立っておりましたので、パチリ。ここ宇佐神宮と奈良の東大寺には、創建以来の深い繋がりがあるそうで、そのようなコトもこの旅で当所に来て、初めて知りました。お神輿と云うのも、ここ宇佐神宮が発祥の地なんですって、歴史に疎いワタシなどはコレも初めて学びました。
続いては、俳人種田山頭火の石碑。山頭火の著作道中記にある、”三月十七日 日本晴、宇佐。”の項、「うらうらこどもとともにグリコがうまい」などは、まさに自由律俳句の真骨頂と云った感じで好きです。当地には”宇佐飴”と云う名物があるにも関わらずの”グリコ”だから、なお一層の可笑し味(お菓子ダケに:笑)を感じます。



そんなふうにして、写真を撮り撮り、石碑の内容をざっと眺めつつノタノタと歩いていたら、いつしか”りゅたろう様御一行”から取り残されているコトに気付いたヨ(泣)。
小走りに先を急ぐと、朱色に塗られた橋の欄干にもたれかかる様にして池の鯉やら亀さんやらにエサをバラまく初老の紳士を発見!・・・な~んだ、りゅたろう先生か(笑)。こんなところまで来てたの?
「いつの間にか、鯉のエサまで手に入れてたんですね。」「面白いよ、コレ。あ、ホラホラたくさん寄ってくるよ。あ、カメも追いかけてくるけど、み~んなコイに喰われちゃうね、可哀想に。」「いいトシこいて、小学生みたいにキャッキャしちゃって・・・」「・・・コレでもくらえ(とワタシの顔に鯉のエサの握ってナマ臭くなってる手をコスりつけやがった:泣笑)」「げー、クサッ!!なんてコトするんだよぉ~」「だって、オレ小学生だモン」「うーコノ”赤ちゃん人間”め」・・・えー、ふたり合わせて106才だったりするんですが、ナニか?



ま、ちょっくら気分を変えまして周囲を散策しつつ、キレイな風景でも堪能いたしましょう。
美しい庭園に建つ和風建築には”宇佐神宮宝物館”とあります。当日は中を観覧するコトが出来ませんでしたが、庭園内の池には御覧の様に一面の蓮。
「ホントは、ハスの花は朝咲くモンなんだヨ」と”たこヨメ”が申しておりましたが、この日は午後なれども数輪の花が我が目を楽しませてくれました。
コーリン・チャップマンはこういった東洋趣味に凝って、自ら作ったマシンと会社をロータスと名づけ、エンブレムにハスの葉っぱを図案したんでしょうか。まさに一面のロータス畑は桃源郷の趣きであります。

・・・は?またナンか喰ってる人々がおるぞよ。
「(半ばアキレ顔で)今度はナニ喰ってるんですかぁ?つか、そんなもんドコで何時の間に手に入れたの?」「モグモグ・・・(半分照れ笑いを浮かべつつ)あ、コレ美味しいよ、ネギ焼き。オカモトさんも食べてみる?」「あーもう見てるダケでハラいっぱいです。コレ以上ハラ出ても、いいの?」「だって、コイツラが食べたい食べたいって云うモンだから、つい。」「で、ドコで買ったの?」「あ、ホラ、さっき参道の途中にお店屋さんがあって、最初はヒヤカシのつもりで覗いてみたんだけど、あんまりいい匂いがするし・・・また店のオヤジの口上がウマいのよ。で気が付いたら買わずにはいられない状況に・・・」「・・・」
さっ、手を洗って、口も濯いで、先にイキましょ。





この宇佐神宮には”上宮”と”下宮”があります。そのそれぞれに一之御殿・二之御殿・三之御殿と三つの立派なお社があり、”上宮”だけを参詣して帰るのは、「片参り」と称して当神宮自らが推奨していません。ですから、ミニマムでも六つのお社をお参りする事となります。
本来、上宮はいとやんごとなき方々が参詣するためのもので、古来、我々の様な一般庶民は下宮に祀られたご祭神を参詣していたとの由来書きがありました。
その上宮をまずは目指して、先ほどから歩を進めているのですが、まあ、どこまで行っても立派な朱塗りの鳥居が出てくるばかりで一向に到着する気配がありません。それでも、ムカシの人々は、現在に於いてもなかなか訪れ難い当地を訪ねて、信仰心を奮い起こし、万難を排して御参りに来てたのでしょうから、ワタシたちも往時を偲んで一生懸命に歩きました。宇佐神宮のご祭神以外にも広大な境内には、実にたくさんの神社が存在していますので、初めて詣でたワタシたちは迷ってしまいそうでしたが、「ボクは前にも来たコトあるよ」のりゅたろう先生がいらっしゃるから、たぶん(笑)大丈夫でしょう。





そうして、ようやく宇佐神宮”上宮”の本殿が見えてまいりました。さぁ、いよいよお参りなんですが、今でこそ、コレを書くために色々と(特に宇佐神宮の公式サイト)調べて、どうにか要領を掴んだ様に思いますが、今ひとつお作法が分かりません。
そこにあった説明書き看板に”二拝四拍手一拝”と云う、当神宮に伝わる独特の参拝作法があるとの事で、慣れない感じでドギマギしながらの参拝となりました。
また、初めは三つあるお社にはどれも同じ神様が祀られているものと勘違いしておりましたが、いったん参拝を済ませてから、説明書きの看板を拝見すれば、それぞれに別々の神様がましますとの由。・・・またあわてて、もう一度ヤリ直しましたヨ(笑泣)。さすがに国宝だけあって、本殿とその周囲は荘厳そのもの。ワタシたちが入ってきた大鳥居側とは真反対に位置する南大門から参詣するための”百段”と呼ばれる急勾配の階段を覗き込むと吸い込まれそうになりました。
ともあれ、八幡大神(はちまんおおかみ)・比売大神(ひめおおかみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)と由緒正しき三神にお参り(このあと”下宮”の方でも、ちゃんと懇ろにお参りいたしましたヨ。デジカメの電池が切れて、撮影が出来ませんでしたケドね。)し、「無病息災・家内安全・夫婦円満・商売繁盛・世界平和」などとともに、当店の顧客様や関係者とその御家族の安寧までをしっかりと御祈念したつもりでおります。いつもの20倍くらいお賽銭もハズみましたし(笑)。

そして、この初老男たちの情けな~い姿を刮目して見よ(大笑)。
溺れる者は藁をも掴むと申しますが、コレだけ霊験あらたかな御神木につかまれば、もうナニがなんでも安心とばかりにしがみついております。特に左に配した”りゅたろう奥様”が撮影した画像の方は、展覧会に出品したいホドの大傑作。どーしよーもない人生を日々闘いながら歩んできたオトコたちの哀愁が、背中から、腰から、そして脚からのぼり立つ様に感じられます。立派な御神木との対比が、なお一層・・・。コドモはオトナの背中を見て育つと申します。決してこういうオトナになってはイケませんヨ(泣笑)。

一方”たこヨメ”は恒例のおみくじを引いてました。「小吉」ですか、まずは結構ケッコウ。
「オカモトさんのとこ、何だったの?」「うん、”小吉”でした。ケッコウいい事書いてありますヨ」「ふんふんふ~ん、ウチは”大吉”だもんね!(カンラカンラ)」「う~」・・・やっぱ、一億円の似合うオトコはどーやっても役者が上ですな。終生かないませんよ先生には。コレからも匍匐の”小吉人生”でトホホのホのホ。
それじゃー、また明日。
2013年3月4日以前の過去記事は、「マセラティでイッてみよう!:Part2」で。
このブログを読んで、マセラティを初めとするイタリア旧車の世界に足を踏み入れたくなってしまったアナタ(あんまりいない様な気がするケド:笑)は、マイクロ・デポ株式会社の公式ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」の方ものぞいて見てくださいね。さらにディープなネタ、やってます。