キレイごとかも知れないけれど・・・
アッと気が付けば、本日で2015年1月もシメなんですね。光陰矢のごとしとは申しますが、いやはや加速度的にシラガも増えるワケだよなぁ・・・はい、こんばんは!まぁ、世の中には「ここまで違うか・・・」と水と油の如くに、自らと価値観の違う人々が居るワケですが、多くの場合”日本人的オトナの対応”と云うヤツで、対人関係に於ける”価値観のスリ合わせ”と云うのを行いつつ、ヒトはコミュニケーションを取って行くしかないのであろうと愚考する昨今であります。
どうして、トートツにこんなハナシを出すかと云えば、ここのところ日々ニュース番組でトップ扱いとなっている日本人の人質問題を初めとする国内外の様々な事件報道を聞くにつけ、諍いの根源をたずねれば、結局どれもコレも”日本人的オトナの対応”と云うのが欠如しているからなのだろうなぁと感じているからです。
さりとて、180度ソッポを向き、14万8千光年(笑)離れている価値観の者同士(ぜんぜん同士ぢゃ無いんだけれど:笑泣)が真っ向から対峙しているところに「まぁまぁ、お互いに前向きによくよく話し合って・・・」などと、”善意の第三者”ヅラしたワタシがのこのこやって来ても、まぁ相手にされるコトは無いでしょうね。
そんなワタシも、ハタチくらいの頃は、今よりもっともっとトンがっておりましたんで、こうした”日本人的オトナの対応”的な、白でも黒でもない決着の付け方というのがとにかくキライでして、なにしろ自分の拙い経験則ダケを基準として正誤を断ずるの愚をおかしておりましたモノです。
今朝早く、いつもの全身痛(泣)で目が覚めて、とりあえずテレビを点けたらN○Kでは土曜日早朝ダケ放映している「あの人に会いたい」と云うアーカイブ番組をやってまして、たまたま今日の会いたいヒトが榊 莫山(バクザン先生)さんでありました。ワタシ世代の人間は、いまだに”勢いのある個性的な字”を見た時に、ついつい「バクザン先生みてぇー(みたい)な字」と云った形容をしてしまうくらい、全盛期はその個性的な”書”とともにメディアにもよく露出されていらっしゃいました。まぁ、焼酎ラベルのイメージが強いと云う方もいらっしゃるかも知れません。
そもそも書画などにはトンと縁が無く、とっても疎いワタシなので、実際にバクザン先生の作品に直接触れたコトなど今まで一切無かったのですが、「草木の一本一本にまで仏様が宿ってるんですよ」と穏やかに仰るバクザン先生がさらさら~っと戯れに書かれた様な書画(水彩顔料?を用いてピンポイントで色を差した水墨画って云う感じでしたが、正式には何と云うカテゴリーの書画だったんですかね)は、いっけんしたダケで「ああ、コレこそ本物。世の中の地位やら名声やら、ソンとかトクとか、小さな克己心やら嫉妬やらとはまったく隔絶した”悟り”の境地がここにはある」と小さなテレビの画面からも伝わるモノでした。
全世界のみんながこんな境地に立てたら素晴らしいコトではあるんだけれども、やっぱり”中学生が考えるホドにもキレイごと”と云われてしまうのかも知れません。でもね、近頃本当に心底そう思うんですが、人間って、ホント悲しいくらいになぁ~んにも持って”逝け”ないんですよね。人生の絶頂期のとある一時期に、いっけん裕福そうに見えるヒトも、いっけん健康体に見えるヒトも、多くの場合、終局的にはたいしたコトには成らずにオワるんです。だから、精神がシッカリしているうち、カラダがなんとなく自由に動けるうちは、どれだけ他人様の役にたてるか、喜んで貰えるか、ニコニコと笑わせられるか、が”勝負”なのであろうとワタシは思います。若い頃には、きっと達成出来て無かったろうとの自省を込めて「アナタが居るダケで、周囲が明るくなるわぁ~」と云われる人間をこれからジジイになるにつれ、いよいよ目指したいモノです。バクザン先生には成れっこ無いですけどね。
それじゃー、また来週!・・・ワタシは明日も午後から臨出デス。一週間有難うございましたぁ!!
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