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« 旧車と中古車の境界線について考える(やっぱり、その2) | トップページ | 人生は色々、その振れ幅も色々・・・ »

2015年1月17日 (土)

あの朝から20年経ったんですね・・・

 皆さん、こんばんは。土曜日であった本日は、朝一番にわざわざクルマで遠く仙台より御来店くださった「Sm」さんを皮切りに、マセラティクアトロポルテの御試乗にみえてくださった「国立市のS」さん、マセラティスパイダーザガートの御購入を前提とした仕様打ち合わせのために昨秋に続いて二度目の御来店となった「名古屋のN」さんと、それぞれ有意義なひと時を過ごさせて頂きました。

20150117012015011702 ・・・「Sm」さんのマセラティビトルボEに於いては、昨日画像の様にタイミングベルトを交換し、本日は御本人に当画像を御覧に入れながら作業詳細を御報告したり、新たな「アシ車」の納車仕様打ち合わせをしたりしていたのですが、このビトルボを見るたびにあの「3.11」を思い出すワケです。仙台の湾岸を襲ってきた津波から、わずか15メートルほどの距離感で難を逃れたという奇跡のマセラティですからね。

2015011703201501170420150117052015011706 で、一日が過ぎまして、その”ズルいかほり”に誘われるままホルモン屋へとフラフラ入りこんでしまいました。白煙モウモウたる店内でいつもの奥座敷に坐り、一酸化炭素中毒の危惧を感じながらもホッピー割りをチビチビとナメてたら、やおら対面の”たこヨメ”が朗読を開始いたしましたので、ワタシの席のうしろを振り返って壁を見ますと、額装されたソレは名にし負う相田みつを先生のポエムでありました。

 今朝方起きて、テレビのニュースを見れば、本日は阪神淡路大震災からちょうど20年であるとの事。自分自身にとって、その頃はいまだ現在の職を得る以前(だから、遠い遠い過去の出来事と思える)でありましたので、当時の衝撃の記憶を風化させてはいけないと思いつつも「もう、そんなになるんだなぁ」と寝ボケたアタマでボンヤリと考えたに過ぎなかったのですが、この詩を朗読して、災害や内外のテロ事件などで、偶発的・突発的に人生の根幹を揺らがされた方々、その他、身体の不調や事故などあらゆる運命のいたずらによって苦闘してきた様々な人々の気持ちと自らの心境や境遇を重ね合わせてみる事がほんの少しだけ出来た様な気がいたしました。有難く、そして申し訳無く思っております。

長い人生にはなあ
どんなに避けようとしても
どうしても通らなければ
ならぬ道というものが
あるんだな

そんなときはその道を
黙って歩くことだな
愚痴や弱音を
吐かないでな

黙って歩くんだよ
ただ黙って
涙なんか見せちゃダメだぜ

そしてなあ
その時なんだよ
人間としての
いのちの根が
ふかくなるのは

 みつを

 それじゃー、また来週・・・今週も一週間、有難うございました。

 マセラティでイッてみよう!Part2・Part3を通したすべての過去記事への一気到達用ページ(このページが便利ですので”お気に入り”にブックマークしてください)を新設いたしました。

 また、2013年3月4日以前の過去記事のみの閲覧は、「マセラティでイッてみよう!:Part2」で。

 このブログを読んで、マセラティを初めとするイタリア旧車の世界に足を踏み入れたくなってしまったアナタ(あんまりいない様な気がするケド:笑)は、マイクロ・デポ株式会社の公式ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」の方ものぞいて見てくださいね。さらにディープなネタ、やってます。

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コメント

20年前の当日、神戸市垂水区におりました。幸い近所含めて大きな被害はなかったのですが、忘れられない思い出が沢山あります。当時の彼女のおばあちゃんの家が倒壊したと聞いて救出に向かうために彼女を乗せて燃え盛る市街地を駆け抜けた赤いベスパは今でも大切にしている愛車の1台です。

あの震災から20年。
以前コメントしましたが、当時大阪勤務で地震を体験しました。

振り返れば、あっという間の20年。
今生きている(生かされている)ことに感謝。
”道”のポエム、20年の節目に相応しいと思います。

Iです。
20年前の出来事なのですよね。当時私はまだ社会人数年目で、震災の事を考える余裕はありませんでした。
昨年、たまたま神戸市に出張する用件があって、タイミング良くルミナリエを見ました。このルミナリエも開催当初は、被災者への祈りを捧げる祭事だったようですが、いまは客寄せ目的の観光となっているようです。そのことを悪いとは言いませんし、逆に思い出す催しだと考えればそれはそれで良いかなって思います。
ところで、本日札幌は猛吹雪です。昼間、チンクエチェントで出掛けようとしたところ、駐車場から出ることが困難で、無理に出掛けると降雪でカメさん状態になることが予想されたので、大人しく自宅待機することにしました。現在も強風がおさまっていません。

本日、ビトルボとプントの件で訪問させていただき懇切丁寧なご対応まことにありがとうございました。
試乗したロッソプントはとても乗り易くマニュアルミッションの扱いも快適でアシグルマにピッタリだと思いました。納車が楽しみです。
そして、プントに乗ってみてビトルボの内装が如何に非日常でイカれたものであるかを実感(笑)。
・・・ホルモン焼肉、機会があれば皆様とご一緒したいものです。

阪神淡路大震災の当時、学生だった私は暮らしていた埼玉のTV報道でこの災害を知りました。直下型地震の凄まじさに衝撃をおぼえたものです。
あれから20年も経過してしまったのですね。
被災者には救済と心の癒しを。災害の教訓は後の世に活かされなければなりませんね。

関西震災時は結婚したばかりでした、まだ嫁さんと二人の呑気な生活。それがいつの間にか親になり、昨日は長女がセンター試験、あっという間の20年でした。

20年経つのは早いものです。あの年は地震とサリンで大変だった年でした。職場で地震後の火災を写すテレビ映像を見たことを覚えていますが、そのとき被害の状況が途轍もなかったとは想像すらできなかったです。
相田みつをさんの「道」のポエムは納得させられます。
そして、SmさんのビトルボEのシルバーのスロットルボディーカバーが素敵でっせ!
本日、年老いた両親の願いで浅草寺に行きました。御神籤は、凶でした、今年一年大人しくしていなくては。。。

ホルモン焼きのズルいにほいは、笑えます!美味しいですよね!奥座敷が定位置になりつつありますね。確かにあの席で、ホルモン焼いて、タバコ吸ったら、CO中毒間違いなし!?です。確かCOは、酸素の250か260倍ヘモグロビンにくっつきやすかったですから、マジご注意ください!

あの神戸大震災の時、私は兵庫県にいて、すぐさまボランティアとして働きました。
5日間ほどいたでしょうか。
検死もだいぶやりました。
その後、マザーテレサの、カルカッタにある「死する人々の家」(という名称だったと思うけど)でボランティアみたいなことをちょっとだけしました。
当然ですが、よく死にましたねぇ。
元々脳外科にいて、その後救急外来にいたので、人の死…言わずもがなですね。
脳外科時代、湾岸戦争のボランティアに行きたいと教授に直訴したら、「馬鹿野郎!」と本を投げられました。

そんな僕は、ゆうべ食いすぎて、酔っ払って、「○ンチン ○ンマン」と叫びながら踊っていたようです。
自分を見失っているんでせうか?
それとも素の自分なんでせうか?

災害は別にして、日本は平和でいいです。

↑生は性に通じます。ゆえにどちらもりゅたろう先生なんですよね!

↑・・・達観(笑泣)。

二番目の配偶者の様相を観察する限り、つまりそれがプロフェッションの発露なのだと思います。どっちも。

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