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2016年1月 9日 (土)

40年ぶりの沖縄へ(その3)

 はい、こんばんは!本日からは、また”さんれんきゅ~”なんですってね。昨日のコメント欄を拝見いたしましても、皆さん結構ウキウキ旅行やイベント参加などで、微笑ましいモノです。きょぉーの東京は、結構寒かったっす(グシュっ)。ウインドーレギュレータ分解して、パーツクリーナーかけて”ニギニギ”と洗ってたら、そのうち両手の感覚がアヤシクなってまいりました。嗚呼、ワタシも二週間前に戻りたいワ・・・。

2016010901201601090220160109032016010904 ・・・はい、戻りましたぁ(笑)!今度は嘉手納から北西方向に走り抜けつつ”読谷村(よみたんそん)”を目指しています。

 沖縄本島各地の地名って、コドモの頃から結構テレビのニュースなどから見聞きしてきてますんで、初めて訪れるのに、なぜか親近感を感じるモノです。

 那覇市内中心部以外の沖縄県内の街は、どこもなんとなく雰囲気が似ているように思いました。ものすごく旧い赤い瓦ぶきの建物がもっと残っているのかなと思いきや、潮風に曝されるせいか、経年の割に独特のサビ方やアレ方をした”屋根がまったいら”な建物が、それなりに密集して建っています。少し市街地を走ると、御覧の様に閑散としつつも「♪ざわわ、ざわわ」と、さとうきび畑に囲まれた風景に出会うコトが出来るところもワタシなどには却って嬉しいものでした。

201601090520160109062016010907201601090820160109092016010910 海岸線に出ますと、ちょっとワタシには見慣れない光景に出くわしました。周囲に広がる岩礁の形状と質感が本当に独特であったので、クルマの中から目を惹いたのでした。

 この日はあいにくと抜けるような青空ってワケでもありませんでしたので、画像で見ますと海水の色も若干澱んでいるように見えてしまいますが、よくよく目を凝らせば驚くホドの透明度です。 

 ワタシの千葉拙宅からは、割と近所にある九十九里浜に行くコトが出来るので、比較的に”ソト海”の雰囲気は見慣れておりますが、まず砂の色合いが関東の砂浜とは圧倒的に違います。そして、遠浅なので海の生物(海草や亡骸も含めて)が非常に多彩です。

 潮の満ち干や、寄せる波・返す波が悠久の年月をかけて穿ってきた芸術的な穴や凸凹の数々はしばらく見ていて飽きるコトがありません。

201601091120160109122016010913201601091420160109152016010916 続いては”残波岬”。沖縄本島最西端に位置する沖縄で一番大きな灯台を見に行こうと云う趣向。今では絶景を楽しむ観光客で賑わっておりますが、先の大戦末期の沖縄戦では、この岬から米軍が上陸したとの事で、些か複雑な心境となります。現地に居る時は屹立する残波岬灯台や周囲の景色を眺めては、ただただ「あーキレイだなぁ」なダケだったのですが。

 目の前の海は東シナ海。隆起サンゴ礁の高さ30mから40mの絶壁が2キロにも渡って大きく突き出した岬となっています。公益社団法人灯光会の公式サイトには次の様にありました。

 「かって、地方の道路は、那覇や首里を除き馬車等が行き交うほどの幅員はなく地方への往来はほとんど海路が利用されていました。レーダー等が無かった昔の航海は、星と地上物件を目当てとしており、この岬は大きな:目標とされていたと思われます。「おもろさうし」(沖縄最古の古謡集)によれば、「この岬をかわすおざ時には、手を擦って祈り船を走らせなさい」と記されており、宇座誌(地元郷土史)「残波の里」には、航海の安全を祈る神の屋として「東の神の屋、西の神の屋、潮吹ガマ」があると書かれています。古来より、本土から、そして山原から那覇へ向かう船には、神に祈る心境にさせるほどの航海の難所となっていたようです。また、この地は昭和20年4月1日、米軍はこの岬を目印に激しい砲撃を加え上陸を開始、あの悲惨な沖縄戦が始まった地でもあります。」

20160109172016010918 そんな灯台の傍らには・・・う~コノ人はダレだっけ?・・・調べてみますと、琉球王朝時代の1373年に察度王(さっとおう)御名代の進貢使として初めて中国に行った、読谷村出身の泰期(たいき)サンと云う方だそうです。同地の豪族であった泰期サンは、五回も船に乗って中国に行き、彼の地の文物を琉球に導入した「商売の神様」として、こうして故郷の地にモニュメントが建てられているのだそうです。ワタシもこの際、商売繁盛を祈って、同じ”指差しポーズ”で泰期像とともに写真を撮ってもらおうといたしましたが、周囲にあまりにも(各国の)観光客が多くてさしもの恥知らずなワタシも断念しちゃいました(笑)。

 それじゃー、また来週!・・・さっ、ワタシゃこれから”新春初ホルモン屋”ぢゃ(笑)!

 マセラティでイッてみよう!Part2・Part3を通したすべての過去記事への一気到達用ページ(このページが便利ですので”お気に入り”にブックマークしてください)を新設いたしました。

 また、2013年3月4日以前の過去記事のみの閲覧は、「マセラティでイッてみよう!:Part2」で。

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コメント

ワタクシ沖縄は行った事がないので、観光地だけでなく郊外の写真も撮影されていてとても興味深いです。

白いミニ、たこちゃんの琴線に触れたとお見受けしました。
沖縄の観光名所も、一つ一つ歴史を感じさせられますね。

Iです。
今日も、休暇よろしく外食して酔ってます。
帰宅して風呂に入ったし、この後家で二次会です。
ブログに全く関係ないコメントですみません。

↑↑やっぱ、「Wさま」さんダケが頼りだよなぁ(抜群の安定度:笑)。白いミニの奥には”みんたま”っていう評判のイタリアンレストランがあるらしいのです。
http://tabelog.com/okinawa/A4703/A470304/47001302/
ここにもイッてみりゃよかったと・・・。
↑おっと、どんなに酔っぱらっててもコメントだけは忘れない「I」さん、失礼いたしましたぁ。ワタシもホルモンとホッピーセットでイイ気持ちでありんす。

残波といえば、泡盛ですが、岬の名前だったんですね。沖縄、北海道は珍しい地名の宝庫です。沖縄にミニもだいぶ珍しいのでしょうか!?確か、沖縄か、宮古かのレンタカーで、マセラティ3500があったような。。。見間違いかな。

おいらの乗ってたオールドイングリッシュホワイトのミニちゃうか?流れ流れて沖縄にいってたのかぁ……

えべっさん盛り上がってるみたいやで、まぁ行けへんけど、梅酒呑んで寝ますzzz

沖縄の原風景を探索するのも良いですね。
泰期さんにあやかってデポの商売が繁盛したら良いですね。目指せ海外輸出!
残波が飲みたくなりました。
…昨日から氷見に宿泊。昼に富山ブラックを食したらプントで仙台に帰投します。

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