はい、こんばんは!さぁ、いよいよ「泣く子もさらに泣く(笑)」師走に突入してしまいました。今日の東京練馬の上空にも厚~い雲がタレ込めて、結局一日中メソメソしておりましたが・・・ホレ、気合入れてイクぞぉ~!おー(とカラ元気をば:笑)!!





一方、昨日の光が丘界隈は御覧の様に絶好の御散歩日和。タマには寝てばかりいないで休日の日曜日にもカラダを動かさなくちゃね。
デポ前のバス通りを光が丘公園の方向に歩いて行きますと、そこかしこに晩秋独特の、落ち葉と紅葉が織り成す素晴らしい情景を見るコトが出来ました。
実は前にもおハナシいたしました様に、ワタシはこの都立普通科最○偏差値(泣)を誇る東京都立光丘高等学校の出身者でございます。
51年前に渋谷区は広尾の日赤産院でウブ声をアゲて以来、2才まで世田谷の下馬ってところにおりましたらしいのですが、さしものワタシもその時代の記憶はまったく持ち合わせておりません。1965年(昭和40年)に練馬区春日町へと引っ越して来てからと云うものは、もっぱら”練馬の子”として生きてまいりましたが、もっともソレはワタシ自身が強く望んだモノではありませんで、どんなに練馬から抜けよう抜けよう(笑)と思っても、高校はココだし・・・あまつさえ、ワタシなどは自らの家を千葉のハズレに購ってしまったワケで、それでもなお「練馬の放つ”磁力”」に引き寄せられるかの如くに結局通常はこうしてココに住み、ビジネスの拠点を置いているワケですから、やっぱりナニかの縁があるのでしょうかね。







・・・そんな光丘高校の正面にある光丘高校口から東京都立光が丘公園へと入ります。
ほぼ終わり掛けの紅葉ではありましたが、その分落ち葉が増量セールを実施中(笑)でして、前夜までの雨に濡れた地面は、あたかもコルクの様な踏み心地で腰痛持ちの散歩には絶好のコンディションです。そんな一遍の絵画のような画像の隅っこにヘンなヤツを発見したと思ったら”タ○ガーマスク”さんも一生懸命に”走り込み”しております。この界隈では結構有名な人物であるらしいコトを、あとでひそひそバナシ(笑)をする方々の会話の中から聞くともなく聞き取りましたヨ。
さらに公園の奥へ奥へと歩を進めますとソコは一面の広場、その背景には美しい木々が立ち並んでおります。
エンジ、黄色、コゲ茶色、深い緑、薄い緑、黄緑・・・まさに天然のパレットさながらに色づいて、ちょっと欧米の公園を思わせる、ソレはキレイな風景でした。
スッカリ黄色くなった大イチョウの樹を背景にして、おもちゃのラジコンジャイロヘリをトバしてひとりで遊んでいるオッサン(失礼)も淡々としていていい味出しておりましたヨ。





昨日の光が丘公園内探索には、ワタシの中にちょっとしたテーマがありました。ソレは光が丘が”公園と団地の街”となる以前、米軍グラントハイツや帝国陸軍成増飛行場だった時分のヨスガをなんとか探すコトが出来ないかと云ったモノです。
事前に調べてみましたところ、この公園のこのあたりがかつて成増飛行場時代に滑走路だったところらしいのです。
滑走路であったコトをことさら隠蔽するかのように木々をレイアウトしているのかな?とも思えました。
そして”見えない貯水池”なんてのも、ちょっと不気味な存在で、ひょっとして地下に作ってあった巨大なシェルターの再利用なのでは?なんて勘ぐってしまいます。戦時中は、この成増飛行場が空襲を受けて壊滅若しくは機能停止した場合に備えて、なんと同じく練馬区の”平和台”と云うところに”秘匿滑走路(まぁ、予備の飛行場と考えられます)”と云うのもあったらしいです。コレも色々調べたら、その場所が特定出来ましたので、次の機会に探索してみようと思いますが、なんだか地味なネタになりそうだなぁ(泣笑)。









そんなこんなで、公園内をほとんど縦断いたしましたところに田柄口と云う出入り口があるんですが、まぁ、メッタなコトでは旭町&土支田側の住民が赴く様なところではありません(だって、モンのスゴク遠いんですもの:泣笑)。
「ドコにあるんだろーなぁー」と云いながらようやく探しアテたのは”屋敷森跡地”と云う区画。ここは光が丘公園の”分園”とも云える特殊な一帯で、戦前、飛行場として接収される以前の当地の面影を70年間ほとんどそのまま残すコトが出来てきたと云う、まさに奇跡的空間なのです。
ツルが巻きついている姿が一瞬大蛇の様に見える”亀甲竹”なる竹が群生しており、相当神秘的な風景です。
ここでのお目当ては、このサビくれた看板(白黒画像は、もうちょっと劣化が進む以前の様子を捉えたネットで拾った画像)です。コレは米軍接収時代に立てられていた”駐車禁止”を示すモノで、この”屋敷森跡地”のみにモニュメントとして唯一現存を許されたと云う逸品であります。
帝国陸軍と米軍によって戦中・戦後と翻弄され続けてきた、現在光が丘と呼ばれる地域には、もはや往時を知る土地の古老もほとんどいらっしゃらないでしょうから、この際こうした施設の存在を地元民として自ら勉強しておくのも肝心であると思った次第。一方で現在の光が丘公園内には、このように立派な弓道場までもが存在するのも今回の探索で初めて知りましたヨ。

・・・で、今回のオチはコレ。
実は、先日の”三里塚ネタ”のコメント欄に、常々”地元民”である事を自ら標榜なさってる「極楽」さんがチラっとくださったヒント(有難うございます!)を基に手繰り寄せました。
公園の近くではありますが、あくまで周辺の住宅街には、平成の現在において、斯くもスゴイものが斯様な態様で存在しているのです。白黒画像は練馬区公式サイトから拾った往時(グラントハイツ時代:おそらく昭和40年代前半から半ば)の残存掩体壕の様子。そして右が昨日の残存掩体壕の様子です。おそらく双方の個体は別のモノだと考えられますが、形状は極めて似通っている様に思います。今は民家の構造物の一部としてヒッソリと佇むばかりの小さな歴史遺産ではありました。・・・しみじみ。
それじゃー、また明日。
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