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カテゴリー「東日本大震災関連」の5件の記事

2011年3月11日の大災害と原発事故に関連する話題。

2016年3月11日 (金)

あれから、5年経ったか・・・

 あたりまえの事ではありますが、5年も経過すると、0才児は5才となって、幼稚園や保育園でも年中サン。気合の入ったお家では、そろそろ”お受験”のコトも考えなけりゃと思うくらいの時期に差し掛かってまいります。

20160311012016031102 コドモの頃には、5年先とか5年前なんて、超未来と太古のムカシに思えていたモノですが、さすがに生を受けて半世紀以上経過した今では、5年前など、つい昨日の様な感じに思えてしまいます。

 5年前の本日、お昼過ぎには隣の板橋区界隈で、とあるマセラティの査定をしていました。で、不動車であったソレをどうやって担ぎ出すか・・・なんてハナシをほとんどまとめて、三男のクルマ(当時はメルセデスEクラス)に乗ってデポへと帰って来る途中で大きな揺れに見舞われたのです。ちょうど、所轄警察署の目の前の信号で停止していた時でした。縦揺れは次第に大きくなり、「ついに(乗ってるベンツの)エンジンマウントが逝ったか?」などと半ば苦笑していたくらいだったのが、そのうちかつて体験した事のない激甚な揺れとなり、「あ、やばい。コレ地震だ!」見れば目の前の信号機が根こそぎビヨンビヨンとしなっています。戦慄が走ると云うのは、まさにこんな感じなのか、と、初めて心底思いましたが、その数日後、テレビの映像に噛り付く中、原発からもうもうと煙が立ち上ったシーンをライブで見た時の衝撃は筆舌に尽くし難い、まさに諦観すら感じるものでした。すべての民放が各社通常CMを自粛する中、公共広告機構の穴埋めCMが繰り返し繰り返しリピート放映され続けていたので、内容の明るく前向きなムードとはうらはらに、2011年3月11日以降しばらくの陰鬱な気分をなぜか思い出させるCMとして、トラウマティックな感慨を持つ方もいらっしゃるかも知れません。

 ・・・それから数ヶ月の間、大きめの余震にビクつきながらリフトを上げて作業したり、ガソリンが入手難になったり、コンビニ弁当や飲料水が買えなくなったりと、直接の被災地から遠く離れた東京練馬にも、その影響は深く影を落としました。原発事故から数日後に都内の比較的放射線量が高いと云われていた地域まで商談に行きましたが、「こんなに人が居ないんだ・・・」とビックリするくらいに、昼間のオフィス街なのに屋外に出ている人はまばら。コンビニを覗いても、食べ物売ってない。体中を雨合羽で覆い、幾重にもマスクをした人を見るに及んでは、「いったい、この先はどうなっちゃうんだろう・・・」と些かならず愕然とした気分になった事も思い出されます。

20160311032016031104 ここ数日は、”震災から5年”と云う企画で、被災地の現状に関する報道も多く目にいたしますが、”東日本”だけではなくて、”阪神淡路”や各所での噴火災害、”無差別テロ”を初めとして、少なくとも自分が生きている時代にこの国で遭遇した天災・人災に泣かされたり、人生を狂わされたり、物心両面で影響を蒙ったりしている方々が「普段は我が目に見えないけれど、実際に大勢いらっしゃる」事を思えば、自分などはつくづく恵まれた環境に身を置かせて頂いているなと・・・若干の起伏こそありましたが、おかげさまで自分の生活自体は表層的にはほとんど変わっておりません。この厳しい期間をどうにか乗り越え、20年目を迎えられたのも、ひとえに当店顧客の皆様、当ブログ読者の皆様、当店関係協力会社諸兄の御理解と暖かい御声援の賜物であると、心底感謝しております。

 以前にも書きましたが、日々の”あたりまえ”に感謝しつつ「有難い」と手を合わせながら、これからも精進してまいろうと決意を新たにするものです。出来る事は本当に小さな小さな仕事だけではありますが、薄紙を剥がす様に世の中が少しでも良くなって、笑顔が増えればいいなと愚考しております。

 それじゃー、また明日。元気に(当ブログとホルモン屋で:笑)お会いいたしましょう!

 マセラティでイッてみよう!Part2・Part3を通したすべての過去記事への一気到達用ページ(このページが便利ですので”お気に入り”にブックマークしてください)を新設いたしました。

 また、2013年3月4日以前の過去記事のみの閲覧は、「マセラティでイッてみよう!:Part2」で。

2015年3月11日 (水)

1460日経って、何を想う

 皆さん、すでに御案内の如く、本日は”3.11”。あの東日本一帯を襲った大きな地震とそれに伴う空前規模の津波、さらに原発事故によって壊滅的な打撃を被った日です。あれから満4年となりましたが、本日現在も仮設住宅での不自由な暮らしを強いられている方々をはじめとして、心の傷も癒えぬままに人生を彷徨っている方々がいまだに数多くいらっしゃる事でありましょう。ここ一週間程はテレビのニュースなどでも被災地域の現状を報道し、少しでも前向きに歩もうとする、ほぼ旧に復した漁業関係者の活気ある姿や、半面で国からの助成金を元手に新農法に携わるも、慣れない事業ゆえにあえなく頓挫した話など、同じ復興でも明暗が徐々に分かれてきている姿が印象的でした。

 4年が経過し、日々東京に住んで日常を送っておりますと、明らかなる”記憶の沈殿”を感じます。しかしながら、自分の脳内を掻き回す”マドラー”は自らが記した過去のブログの中に封印されておりました。

当日  翌日 翌々日  4日目 5日目

満一年

満二年

満三年

 ・・・実は、本日も義理の叔母を都心の斎場にて弔って帰って来たところです。数年前から、とある難病と闘う生活を送っていたとは聞いていたのですが、その病気が快方に向かっていた矢先の急逝でした。4年前に一撃目の大地震が発生した”運命の時間”には、先日延伸開通した首都高速中央環状線(C2)で帰路につき、一気に5号線の高島平ランプまで到達。新しい道はほとんどすべてが長大なトンネルである事に驚愕しつつも便利さを享受出来ました。けれども、このような閉鎖的空間でまさかの大地震に遭遇したらと思うと慄然とはいたします。

 昨晩伺ったお坊さんの説話にもありましたが、「今吸った息を次の瞬間に吐けるかどうかすらも分からないくらいに、人間の未来はカゲロウの如くに儚い」というのも本当だし、さりとて「じゃ、何もヤラずに無為に過ごすか」と云うのもこの世に折角生まれてきてあまりに勿体無いと云うものです。

 日々、時々刻々に、いま目の前にある「何か」を掴みとろうとしながら、冷静にジタバタと歩んで行くのが、自分の性には合ってる様です。また、さらに次の一年を頑張ろうと思いつつ・・・合掌。

 それじゃー、また明日。明日からは通常通りに営業いたします。

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 また、2013年3月4日以前の過去記事のみの閲覧は、「マセラティでイッてみよう!:Part2」で。

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2014年3月11日 (火)

あれから、三度目の3.11

 日常は、時に、一瞬にして非日常となり、そうして生じた非日常の状態が、自らの内部で日常化したと思える様になるには長い時間を要します。自身が住み、日常生活を送る東京周辺では地震や津波による大災害の痕跡を普段目にする事はありませんし、原発事故に関しても、相手が放射線と云う不可視の存在ですから、日々線量計を持ちつつ周辺を計測して周らない限りは実感が湧き難い事象ではあります。

 今朝早く、普段と同じに事務所へと出てきて、壁掛け時計のデジタルカレンダーが”3 11”と無機質に表示しているのを見、「あれから、もう三年なのか」と、そのアラビア数字で表示された日付に特別な意味を感じはすれど、いつも通りに寒い弥生の朝でした。

 テレビのニュース報道を見る限り、あれから三年が経過して、東北地方で津波の猛威を被ったそれぞれの地域では、瓦礫の撤去と整理はそれなりに進んだ模様です。しかしながら、ほとんどの人々は変わらずに仮設住宅に住んでいらっしゃいますし、新天地に新しい住居を得た人々も新たな住宅ローンの返済に追われつつ、慣れない薄給の仕事で糊口をしのいでいる状態であるそうです。その精神的、経済的ダメージたるや如何ばかりであろうかと思えば、一方で、比較的に恵まれた環境で生活をし、仕事に従事出来ているはずの自分自身は、この三年間だらだらと何をやってきたのだろうと自省する事しきりです。

 自らが打ち込んできた、農業、漁業、林業の技術や経験を生かす事なく、他所で未知の業種にいきなり転換せよと齢50も過ぎて云われたら、また自らそれを決断しなければならないとしたら、それは大いにストレスフルで過酷な経験だと思うのです。

 お酒の蔵元やお醤油の醸造元など、伝統的に培われてきた根源的資産たるものが流されてしまったケースでは、再起をするのも本当に知恵と工夫を総動員して御苦労なさった事でありましょう。

 本日の午後は、日没までマセラティクアトロポルテのダッシュボードを降ろしながら、「ああ、今頃の時間だったんだよな」と、あの日、光が丘警察署前で信号待ちしていた折の車中で体験した、いまだ嘗て感じた事無き強い揺れを思い出しておりました。自分は悲しいかな頭も明晰ではなく、生き様の方も不器用で、だいたい一つの事しか追いかけられませんし、時流に乗るのも下手くそであります。そういった按配で、この三年間積極的なボランティア活動や募金活動などにも身を投じる事は出来ていません。せめて、身体と頭脳がどうにか働く限り、また、そのような仕事の結果を楽しみにしてくださる顧客様がいらっしゃる限り、顔をあげて、まっすぐに参ろうと思っております。社会には、それが必要とされて色々な役割をする人々がいらっしゃいます。自分はウインドーレギュレーターを直したり、ダッシュボードを降ろしたり、洗車をしたりするのを、自らの使命と感じております。

 なにか、うまく言い表す事が出来ませんでしたが、東日本に限らず、様々な形で被災され、あるいは苦難に遭遇し、あらゆる形で復興や復帰の努力をし、もはや十二分以上に頑張っているんだけども今一つ結果が顕然としていない人々に向かって、さらに「ガンバロー!」と掛け声を浴びせるのは、酷な気がして・・・。一日も早く、「おしなべて日々の地味な努力が報われ、本来の日常生活が出来る国」の姿を取り戻して欲しいと願うのは自分だけではありますまい。ともあれ、東日本の災厄から三年は経ちましたが、彼も我も、とにかく薄紙を一枚一枚剥がすような匍匐の歩みで前進するのみ。”辛い”と云う字は一本スジを通せば”幸せ”と云う字になると申します。まっすぐスジを通しながらも明るく行きましょう、お互いに。

 それでは、また明日。

 2013年3月4日以前の過去記事は、「マセラティでイッてみよう!:Part2」で。

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2014年1月17日 (金)

あれから19年なんですね・・・

 その頃はまだ、都内のマンション住まいから現在の千葉拙宅に引っ越して間もない時分で、毎日早朝5時に起きては、即時トーストを咥えつつ、テレビのニュース番組をBGVに慌しく身支度を整えて、走りこむようにしてクルマに飛び乗り、片道二時間の道行きで通勤してたものです。

 自分にとっては、早朝の日常的な風景でしたが、その日だけは、テレビの画面に映る映像がいつもと違ってました。高速道路が崩れている。街のあちこちから炎が立ち上り煙が出ている。刻々と映像は変わり、音声から次第に現地の状態が分かってくる。しかし、その情報は錯綜し、二転三転と変化していきました。色々なテレビ局の報道を見ようとザッピングしつつ、そのまま一日中テレビに釘付けになっていたかった気持ちは当然やまやまでしたが、「一体、この先どうなっちゃうんだろう」と思いつつ、後ろ髪をひかれるように我が家を出ました。

 クルマの中では、当然ラジオで急遽組まれた報道特別番組を聞きながらの通勤でした。想像以上に相当大きな被害が出ていることも分かってきました。実は”第一報”をテレビで見聞きした時には、後に”阪神淡路大震災”と呼ばれ日本国の歴史に名を刻む事となる世紀の大災害が、ただいま現在、そう、千葉県内を慌しく自分が通勤する日常を送っている、この同時刻に西の地方で発生し、今まさにそれらの街が大混乱しているという実感はありませんでした。

 その後、今日までの間、仕事上の出張や、趣味の旅の中で、京阪神で被害の大きかった地域や、淡路島にも何度か訪れる機会がありました。街々は逞しく復興を遂げ、表面的には平静を取り戻したかのように見えておりますが、当時の大震災で親族を喪った方々、職を失い生活の急変を強いられた方々、また怪我などによって傷害が残った方々や御家族にとっては、いまだに言葉に出来ぬやりきれなさは残っている事と拝察いたします。

 19年経って、自分の日常は変わりました。朝は歩いて3分の道行きの通勤。今日は7時のニュースで、早朝の地震発生時刻に現地で行われていた黙祷の映像を見ました。「ああ、今日だったんだ・・・」日々の自分の生活に追われるばかりで、今朝が”その時”であった事を完全に忘却していた・・・恥ずかしい限りです。

 明後日は亡き実母の誕生日。生きてりゃ何才だったんだろう。昭和14年生まれだから、75才か。災害で喪った訳ではないけど、自分の身内だからか、それでもやはり一抹のやりきれなさはいまだに残ります。それからもずいぶん経ったものだが、実に何年経っているのかがどうにも思い出せない・・・親不孝者ですね。

 東北の方も、もうじき三年です。この日付の方は、親の命日忘れても、呆ける迄憶えていそうだけれど。思えば”忘却”と云うのも、そもそも人間に備わった、脳に都合の良い機能なのかもしれません。つらかった経験など出来るだけ早く消去してしまいたいですからね。どういう訳か嫌な方の思い出はなかなかどうして消えてくれないんだけど。せめて未来は、いいことばっかりですべてうまくいくといいですね。

 それでは、また明日。

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2013年3月11日 (月)

東日本大震災から二年を経ました。

 今日は、忘れもしない3月11日です。二年前のそこから数ヶ月間というものは、ちょっと通常とは異なる空気感の中で過ごした日々であったのを、今もまざまざと思い出します。

 東京でも大きな揺れを感じた直後、そもそも当日の夕方にお越しになる予定であった、「(このブログの常連コメンテーターでお馴染みの)Wさま」さんから御電話があり、都営大江戸線地下鉄の豊島園駅ホームで地震に遭遇したけれども御自身は無事であるとの由。早速駅までお出迎えに参上し、旭町のマイクロ・デポまでお越し頂きました。そのまま予定通りに商談を進めさせて頂き、夜の帰宅は困難だと即時判断、近くのホテルに御連れしてそのまま一泊して、翌日の朝には勤務先に向かわれました。もっとも、会社からは即時帰宅命令があったそうですけれど。その充分に情報を精査した上での前向きな行動を拝見して頭が下がる思いでありました。

 そこから数日、日々インターネットラジオをつけっぱなしにして、各地の状況を把握しつつも、自分たちの使用する飲料水や燃料の確保などに奔走するのが精一杯。結果的には無事でありましたが、千葉の館山で海岸縁に住む実父の安否も数日間わかりませんでした。大津波警報の出ているエリアだったので、真っ赤にマーキングされた地図をテレビ画面の中に見せられるたびにハラハラしたものです。一方このブログでは、「(常連コメンテーターでお馴染み:仙台市在住在勤の)Ryo」さんの安否確認連絡を呼び掛け続け、約一週間後に御無事であった事がなぜか関西方面の情報ソースに於いて判明した時の安堵の気持ちも忘れ得ぬものです。

 そのような中で、あろうことか原発災害も起こってしまいました。テレビで建物上部が吹き飛ばされたのを見た時には全身に戦慄が走りました。

 そのような日々から二年が経過して、いまだ31万人もの方々が避難生活をしているそうです。二万人以上の方々の犠牲を思えば、命を繋げただけマシではないかと云う、突き放した物言いも散見いたしますが、長年に亘って培ってきた技術を生かせる職や家や田畑・漁場、そして家族を失い、今後ふるさとも喪失するとなれば、その心中は察するに余りがあります。

 実際、私の周辺にも罹災地域出身(福島浜通り)の先輩が居られ、つい先日も「この間、また葬式行ってきたよ。もともと農家のでっかいお屋敷に住んでいたような親戚たちがすきま風の吹き抜けるような寒くて貧相な仮設住宅に二年も居るんだもん、見てたら涙が出たよ。あれじゃあ頭も体もおかしくなっちゃうよ。」と仰っておりました。こういった方々も大震災での間接的な犠牲者であると思われますが、その数字にカウントされることは無いのでありましょう。

 私自身、この二年の間に大震災や原発事故について意識せずに過ごせた事はただの一日もありませんが、東京におりますと、日々の生活に忙殺される中で、いっけん、すべてが元通りの平静を取り戻したかの様にも見えてしまう瞬間があります。しかしながら、今後も我々の目には見えてこない様々な事象についての情報を深く広く精査しつつ、一歩ずつ前進して行くしか無いのだろうと思っております。

 必ずしも「コツコツと努力した者が勝つ」という世の中で無いと云うのは、今さら私如きが申し上げる事でもありませんが、それでも願わくばそういう人間としての真っ当さを追求して生きてみたいとあらためて思うのです。うまく立ち回れる人生も良し、不器用な人生も、これまた良し、と云ったところでしょう。ヒトも羨む財産家は世の中に多いですが、傍から見るほどにはその境遇に満足していないものです。自ら深く納得出来る一日を積み重ねて行こうと、大震災から二年を経た今日、あらためて思いました。

 今日は、久しぶりにちょっとカタいハナシになってしまいました。申し訳ありません。

 それじゃー、また明日!