あれから、5年経ったか・・・
あたりまえの事ではありますが、5年も経過すると、0才児は5才となって、幼稚園や保育園でも年中サン。気合の入ったお家では、そろそろ”お受験”のコトも考えなけりゃと思うくらいの時期に差し掛かってまいります。

コドモの頃には、5年先とか5年前なんて、超未来と太古のムカシに思えていたモノですが、さすがに生を受けて半世紀以上経過した今では、5年前など、つい昨日の様な感じに思えてしまいます。
5年前の本日、お昼過ぎには隣の板橋区界隈で、とあるマセラティの査定をしていました。で、不動車であったソレをどうやって担ぎ出すか・・・なんてハナシをほとんどまとめて、三男のクルマ(当時はメルセデスEクラス)に乗ってデポへと帰って来る途中で大きな揺れに見舞われたのです。ちょうど、所轄警察署の目の前の信号で停止していた時でした。縦揺れは次第に大きくなり、「ついに(乗ってるベンツの)エンジンマウントが逝ったか?」などと半ば苦笑していたくらいだったのが、そのうちかつて体験した事のない激甚な揺れとなり、「あ、やばい。コレ地震だ!」見れば目の前の信号機が根こそぎビヨンビヨンとしなっています。戦慄が走ると云うのは、まさにこんな感じなのか、と、初めて心底思いましたが、その数日後、テレビの映像に噛り付く中、原発からもうもうと煙が立ち上ったシーンをライブで見た時の衝撃は筆舌に尽くし難い、まさに諦観すら感じるものでした。すべての民放が各社通常CMを自粛する中、公共広告機構の穴埋めCMが繰り返し繰り返しリピート放映され続けていたので、内容の明るく前向きなムードとはうらはらに、2011年3月11日以降しばらくの陰鬱な気分をなぜか思い出させるCMとして、トラウマティックな感慨を持つ方もいらっしゃるかも知れません。
・・・それから数ヶ月の間、大きめの余震にビクつきながらリフトを上げて作業したり、ガソリンが入手難になったり、コンビニ弁当や飲料水が買えなくなったりと、直接の被災地から遠く離れた東京練馬にも、その影響は深く影を落としました。原発事故から数日後に都内の比較的放射線量が高いと云われていた地域まで商談に行きましたが、「こんなに人が居ないんだ・・・」とビックリするくらいに、昼間のオフィス街なのに屋外に出ている人はまばら。コンビニを覗いても、食べ物売ってない。体中を雨合羽で覆い、幾重にもマスクをした人を見るに及んでは、「いったい、この先はどうなっちゃうんだろう・・・」と些かならず愕然とした気分になった事も思い出されます。

ここ数日は、”震災から5年”と云う企画で、被災地の現状に関する報道も多く目にいたしますが、”東日本”だけではなくて、”阪神淡路”や各所での噴火災害、”無差別テロ”を初めとして、少なくとも自分が生きている時代にこの国で遭遇した天災・人災に泣かされたり、人生を狂わされたり、物心両面で影響を蒙ったりしている方々が「普段は我が目に見えないけれど、実際に大勢いらっしゃる」事を思えば、自分などはつくづく恵まれた環境に身を置かせて頂いているなと・・・若干の起伏こそありましたが、おかげさまで自分の生活自体は表層的にはほとんど変わっておりません。この厳しい期間をどうにか乗り越え、20年目を迎えられたのも、ひとえに当店顧客の皆様、当ブログ読者の皆様、当店関係協力会社諸兄の御理解と暖かい御声援の賜物であると、心底感謝しております。
以前にも書きましたが、日々の”あたりまえ”に感謝しつつ「有難い」と手を合わせながら、これからも精進してまいろうと決意を新たにするものです。出来る事は本当に小さな小さな仕事だけではありますが、薄紙を剥がす様に世の中が少しでも良くなって、笑顔が増えればいいなと愚考しております。
それじゃー、また明日。元気に(当ブログとホルモン屋で:笑)お会いいたしましょう!
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